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♪映画を暗記科目にしたくない!♪
1982:監督リドリー・スコット 脚本ハンプトン・フィンチャー デヴィッド・ピープルズ 主演ハリソン・フォード
ストーリー
2019年、環境破壊により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ大都市での生活を強いられていた。宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発されたレプリカントと呼ばれる人造人間が、過酷な奴隷労働に従事していた。しかし、レプリカントには製造から数年経つと感情が芽生え、主人たる人間に反旗を翻すような事件が多発する。レプリカントを開発したタイレル社によって安全装置として4年の寿命が与えられたが、後を絶たず人間社会に紛れ込もうとするレプリカントを「解任」する任務を負うのが、専任捜査官ブレードランナーであった。
タイレル社が開発した最新レプリカント「ネクサス6型」の一団が人間を殺害し脱走、シャトルを奪い、密かに地球に帰還した。タイレル社に押し入って身分を書き換えブレードランナーを殺害して潜伏したレプリカント男女4名(バッティ、リオン、ゾーラ、プリス)を見つけ出すため、ブレードランナーを退職していたリック・デッカードが呼び戻される。デッカードは情報を得るためレプリカントの開発者であるタイレル博士と面会し、彼の秘書レイチェルもまたレプリカントであることを見抜く。人間としての自己認識が揺さぶられ、戸惑うレイチェルにデッカードは惹かれていく。
デッカードは脱走グループが残していった証拠物から足跡をたどり、歓楽街の踊り子に扮していたゾーラを発見し、追跡の末に射殺する。その直後リオンに襲われるが、駆けつけたレイチェルが射殺した事でデッカードは命拾いする。デッカードはレイチェルを自宅へ招き、未経験の感情に脅える彼女を熱く抱擁する。一方レプリカントグループのリーダーロイ・バッティは眼球技師を脅して掴んだ情報をもとに、プリスを通じてタイレル社の技師J・F・セバスチャンに近づき、さらに彼を仲介役にして、本社ビル最上階に住むタイレル博士と対面する。バッティは地球潜入の目的、彼らレプリカントの短い寿命を伸ばすよう依頼するが、博士は技術的に不可能であり、限られた命を全うしろと告げる。バッティは博士の眼を潰し、セバスチャンをも殺して姿を消す。
タイレル博士とセバスチャン殺害の報を聞いたデッカードはセバスチャンの高層アパートへ踏み込み、部屋に潜んでいたプリスを格闘の末に射殺。そこへ戻ってきたバッティと、最後の対決に臨む。優れた戦闘能力を持つバッティに追い立てられ、デッカードはアパートの屋上へ逃れ、隣のビルへ飛び移ろうとして転落寸前となる。しかし寿命の到来を悟ったバッティはデッカードを救い上げ、穏やかな笑みを浮かべながら命果てる。デッカードはレプリカントとして同じ運命が待つレイチェルを連れ、逃避行へと旅立つ。
過去の日本に奴隷制度はありませんよ~
天皇陛下が親で国民はみな子供でと言う考えが前提にあります。なので国民は皆家族と言うのが日本国としての考え方です。(本当に素晴らしいと思います。)
まぁ過去にキリスト教会&奴隷商人が日本人を奴隷にして海外(主にヨーロッパ)に売っていた事実が公式な書類で残っているそうですが・・・
こんな動画あったらいいなーと思ってました!
なるほど、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?=ブレードランナー』で、ケイティペリーな訳だ。そうだね。クロ-ン羊から、もう何年間だろう?もう、クロ-ン達は、成人して、子供の産める体に成長して、AIと共に、戦争にも、成り代わって、行ってくれる訳だ。全ての幼少期からの履歴書が、作り物。捏造とは違うのでバレることは、決して無い訳だ。
この映画のDVDは、馬鹿なお爺ちゃん、お婆ちゃん、それに続く、馬鹿親たちのために、買っておいた方がいい時代かも知れないな。
ロビン•ウィリアムズも、アンドリュ-の名演技で、変死したね?
『家系図ごとの、すり替えの乗っ取り!』馬鹿が思いつきそうな事象だ。血脈を手にいれて、子供が産める体なら、実質上の乗っ取りだ。世代が『遅発性統合失調症』『早期性認知症』になって、世間が騒ぎ、混乱し、家族との温度差を作り出したら、『完全な乗っ取り!の成立!』だからね?
私の話がわかるかな?
皆さん?
南西諸島より。
拝
日本語とかが出てくるのが高い城の男の影響とは目から鱗です。素晴らしい洞察ですね。
映画も原作も見たのはずいぶん前だったので、色々思い出しながら楽しく拝見させていただきました。
個人的にはロイがデッカードを救ったのは、いよいよ人生の最後を悟ったロイがせめてデッカードに自分の死を看取って欲しかった、一人で死ぬのが怖かった故の行動だと思います
最後の一人ごちるようなセリフも、デッカードに「こんなレプリカントな俺だけど今まで自分が歩んできた軌跡が消えることが寂しいんだぜ」と遠回しに訴えてたんだと思います
で、デッカードもその心意気を酌んで、ある種の衝動的に(またはヤケクソ気味に)レプリカントを人間と認め、後のレエチェルとの逃避行に及んだと考えてます
デッカードはロイの真意がわからないとは言ってましたが、理解してなきゃ逃避行なんてしなかったでしょうからね。言葉ではなく心で理解できた!というやつですね。きっと
薬物と作品の話ですが、僕も全く同じ意見です。作者の性質がどうであれ、生み出された作品は純粋に作品のみの評価を与えるべきだと思います
見方を変えれば、我々が今有難がってる作品や無くてはならない製品、生活の根幹的なシステムなども麻薬による閃きで生まれたモノではないと言い切れませんしね
薬物が関わったかどうかが重要ならば、既存のあらゆるモノも遡って検証する必要があるわけで、でもそれはきっと非常に大変な作業になるわけで…
なんかレプリカントの境遇に通じるものがあるな~
でう~ん、この映画の最大の魅力であり、醍醐味は・・・『2019年の時代、荒んだ人間世界に中、人間でないレプリントの方が人間らしい!』これです!この事を主体に考えると、デッカードが人間っぽいのはおかしい!明らかにレプリカントです!
ファイナルカットのユニコ―ンのシーンが使いされた訳です。
長生きしたいと言うより、4年の寿命で死にたくない!人間でも同じでしょう!
この理屈は、蛸で解ります。最大5年の寿命!だから発達しない!そうしないと、海の中が火星人みたいになる!
ロサンゼルスのの街は字幕では、あまり解らないが、ちゃんと英語が解る人、吹き替えを見れば、スペイン語、日本語・・あふれている!
うどん屋でガフがデッカードに言った台詞がまさに世界中の言葉がごちゃ混ぜ!日本語があふれているのではなく、世界中の事です!
レプリンカントは、ロボットだけど、タンパク質製、氷点下でも稼働できる高性能!
しかし基本、生殖機能が無い・・・しかし、レイチェルで疑問が生まれる!タイレルの姪の記憶なら生理はどうなる?だから2049に繋がる!そうしないと整理が来ない事に疑問を感じる!
ロイが何故最後に救ったか?これも根本的思考!人間より人間っぽい!
普通デッカードが落ちるのはどうでも、良い!しかし、人間らしい思考なら、まずプリスの殺された、後、言う、凄腕なんだろう?見せてくれ!と言う、狩る者、狩られる者で戦い!ライバル意識がある。
現代でも大会のような競技のトーナメントで負けた時、自分を倒した奴に勝って欲しい!そう言う心境にかられる!何故なら自分を倒した奴を『強いから我々は負けた!弱いなんて認めたくない!』自分を倒した奴こそ大事と言う独特の心境にかられる・・・これころ人間っぽい!
老衰(どんどん機能低下中、硬直していく体‼硬直する手を動かす為、ショックを与える為、釘をさす)で死んでいく自分を真のあたしリに、最後に自分に何が出来る!なしえるか!それが、人間らしい、敵であるが人を救う行為だと言える!これは最近の映画、パシュヒックウォーでも日本の潜水艦の船長が葛藤する!人間らしい思考とはそういうものだ!
レイチャルに対するデッカードの感情は2049で決まられておる!そうなるようにプログラムされていたようだ!
劇中内で強引で語られる。2人は愛し合うようにできている。
デッカードがで最後逃亡するとき、銃を構えるから相手を殺すは間違いです!これは他の映画、ボーンシリーズで解るが、銃を構え=殺すは間違いです!ボーンは死んだ彼女の最後の台詞を守る!『殺さなくても?』銃を構える=殺すでないです!2~3作で人を撃ち殺してません!最悪状況は撃つとして無意味に撃たない!
警官銃を携帯する=犯人を殺すではです!抑止力です!
レイチェルの殺さなかったデッカード、2049のK!命令を聞きません!機械でなく、自己の意識の判断こそ、人間らしい表現です。
レイチェルは、タイレルの姪の記憶なのをすっかり忘れたコメントです、思考は基本、人間です!ダッチワイフでないです!
このような事、慰安用レオプリカント、プリスが実際に居て話したら、貴方確実にプリスとロイに殺されますね!
でも、この作品の表現にあなたは見事にハマってます!
「2019年の人間は、冷たく、他人に無関心!死体が道端にあっても何も気にせず歩いていく」まさにあなたはこの映画が描く、2019年に人間の予想にハマってます。『ブレードランナー』が描き語ったように実際、なっているように感じます!
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、なんと発売当初の文庫版が実家に!父親の文庫コレクションの一部でした。
ありがたきことですね~読んでみます
2049でレイチェルとデッガードのその後がなんとなくわかりましたね!
解説、素晴らしかったです。ブレラン2049を観てからここに来ましたが、旧作が改めて良くわかりました。原作、私も30年前に読みましたが、原作の解説も最高でした。しかし、旧作、レイチェルは不幸な未来だろうなんて、当たりましたね。すごいです。また見に来ます。
人間にはクオリアがある。しかし、アンドロイドには無い。
クオリアとは「主観的体験が伴う質感」のことである。
簡単に言うと、赤い夕日をみたときの「赤い」という感覚や、氷に触った時の「冷たい」という感覚のことだ。
いったいなぜアンドロイドにはクオリアが無いのか?
それはアンドロイドには魂が宿って無いからだと思う。
めちゃくちゃ分かりやすかったし面白かったです。原作も読んでみようと思いました。
肉体も心も完璧なのに、あっという間にこの世を去らなくてはいけない。なんて悲しいんだろ。なんて残酷なんだろ。
無責任に新しい命を作ることがどれほど残酷なことか。ってことを伝えたい映画なんじゃないの?
割と単純な内容の映画だと思うけど。
デッカードがレプリカントってのは完全に監督の後付けでしょ。デッカードがレプリカントだと、ロイが自分の悲しみをデッカードに告げて亡くなるシーンの意味が失せる。少なくともロイはデッカードを人間だと勘違いして追い回してたことになるんだから、、まぁ要するに台本としてあり得ない。
原作は映画が話題になって見直された感がありますね。映画も当初はそんなに凄いとの評価はなかったのでは? ターミネーターも然り。ま、その後にどんどん評価が高まり……。その結果が重要(何が言いたい?)。小説と映画はまったく別物。根幹は、今風に言えばAIは感情を持つか、という問いかけですね。言い換えれば、人間の「人たらしめる心(感情)」とは何なのか? との問いかけかと。ま、映画は圧倒的な映像美、演出を楽しみたいですね。関係ないけど、ケータイのコマーシャル「ハリソン君」を思い出した。
最後の「音楽や小説の価値は作った人の人格とは無関係」というご意見、大いに賛成します!
自分も槇原敬之とか昔から大好きですし(笑)(。-∀-)
4年の寿命の中で急速に人間性を身に付け、遂には敵であるデッカードを救うほどの、人間を超えて人間らしい域に到達したロイ。しかしそれも束の間、命を終える。
で、それを見せつけられたデッカードはアンドロイドを人間と同等、或いはそれ以上に尊い存在であると認め、
レイチェルとの逃避行を決意する。・・・みたいな感じで、私は守鍬さんより少しだけハッピー?エンドな解釈でした。
デッカードがレプリカントだと仮定した場合の矛盾の説明がいまいち納得が。。
例えばデッカードが4年以上生きているかどうかって、映画の内容だけでは断定できないのでは?
何百回も見てるのに、解説凄いっすね!
我思うってデカルトの決定的な誤訳でしょ
考える、思考するという意味のはず
思うという日本語訳で、説明して
何も思わないのはスゴイ
さすがにこれだけ詳細に解説戴くと殆ど全て思い出しました。原作の解説も有難かったです。いずれにしろこの原作をもとにあれだけの重厚感ある映像作品に仕上げる感性はさすがだと思います。スコット自身が根底にあるSF的哲学的問題に踏み込んでるのか映像のみの題材にしてるのかは判らないですが。個人的にはマシンの感情というのは素材がタンパク質かシリコンかの違いでこれはあるとみるのが妥当ではないかと考えてます。そもそも「感情」とは何か最後まで解らない気がしますが。この映画トランブルの雰囲気も色濃く出てると思います。次回コメディ期待してます。