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日本史始めました(今更)。基本は単語レベルでのご説明の動画シリーズにする予定ですが、最初なので日本史全体について概観をご説明します。
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選定基準が浸透襲撃らしくて好き
今回の日本史21大事件の選定、非常に面白く視聴させていただきました。次回がすごい楽しみです。高校でお世話になった山川の日本史Bは(世界史Bも含め)歴史教材として秀逸ですね。
ここでコメされてる方々に比べて歴史は詳しくないですが、、勝手ながら個人的な次回、中古・中世から近世にかけた7大事件はこんな感じで考えてます。うp主さんとどこまで重なるか、全て外れるのか次回が楽しみ。
・墾田永年私財法(743年)
・遣唐使の廃止(894年)
・封建制度の確立(1185年~)
・承久の乱(1221年)
・伊勢宗瑞(北条早雲)の相模国平定(1516年)
・パクス・トクガワーナの確立(1603年~)
・国学・朱子学の浸透(1700年代?)
「この頃の日本にはまだ歴史がなかった」の流れの後に入った某出版社の広告「あなたは知っていますか?古代日本とユダヤとの繋がり…」で吹いた
プーチンがクリミアと東部の権益を諦めれば戦争は終わるんですけどね。完全に泥沼化してしまいましたね。もう拙速で終わらすのは不可能でしょう。
勝手に独立宣言して喧嘩売って返り討ちにあったのに教育うけなかったって、当時のお隣さんは結構優しかったんだね。
まあ、あちら側としては日本よりヤバイ異民族とガチでやりあってるわけだから小さな島国にお灸をすえる余裕がなかっただけなのかも。
・中国という国家は20世紀まで存在しませんでした(中国語という言語についても同様)
古代と現代は明確に区別されるべきと考えます(現在のイタリア(共和国)と古代ローマが別物であることと同じ)
・この動画では「日本古来の意味における神」と「一神教の神(GOD)」が出てきます
やはりこれも区別されるべきでしょう
・今も昔も、皇室は政治権力を持たない
よって、天皇を「日本の支配者」と呼ぶことはできないと考えます
大陸との訣別について、利権の保護コストが無くなったの流れを見て鶏肋の惜を思い出しました。
唐は勃興したばかり、しかも遊牧民の警戒や半島は分立してる中で海を渡っての遠征は危険極まりないでしょうし
遣唐使に「天皇は名乗るけど隋の時のように貢物するんで!」と言われたら
「まぁよかろう」と思っても不思議ではないですね。
日本が独自路線を進みだしたところで隋や唐にとっては海の向こうの弱小蛮族のやることなんで、干渉する価値なんてなかったんでしょうね。
白村江やっぱかなり重要だよなぁ。
中学の時教科書に一文すら載ってなくて驚いたわ(小学生の時に読んだ漫画日本の歴史で先に知ってた、ってか漫画にすら劣る教科書ってどうなん?)
学校の授業の前に1回聞いておきたい話かもしれない。第1章をやる前の序文/第0章にこういうまとめがあったら確実に理解が進む。
中国史や世界史を齧ると騎馬民族のおっかなさが分かる。
倭が当時の朝鮮南部へ出兵して支配した理由は、鉄が取れるからですね。
当時朝鮮は倭と同じ様な言語(話し言葉)を持っていたので、その言語が消滅していなければ、弥生時代頃の古代大和言葉が復元できたのに…
「日本の歴史」が始まったのは、712/720年ではない。
例えば「日本書紀」には、「620年に聖徳太子が「国記」や「天皇紀」を編纂したが、
「乙巳の変」によって失われた」と書かれている。
「正本(オリジナル)が現存するか」という視点で考えるなら、「孫子」も「聖書」も「史記」も存在しない。
「孫子」の最古の写本(コピー、竹簡)は紀元前2世紀、「聖書」の写本は4世紀、「史記」の写本に至っては12世紀だ。
また、「古事記」や「日本書紀」も当然正本は失われている。
全ては「写本」なわけだが、それが残らなかった歴史書は「その存在さえなかったもの」として扱われ、
残ったものは「その正本に遡って存在した」と考えるのは、どう考えてもおかしい。
確実に言えるのは、「写本が存在する」ことと、
「失われた歴史書や正本に関してはグレー(存在したともしないとも言い切れない)」ということ。
もちろん他の写本や資料との照合により「グレーさの度合い」は変わるが、全ての写本には相違点があり、
その相違点のどちらが正しいのか(もしくは両方間違っているのか)は誰にも判らない。
さらに、他の歴史書同様「国記」や「天皇紀」自体「それ以前の断片的な歴史書をまとめたもの」なわけだから、
「日本の歴史が始まったのは5〜6世紀頃」と考えるのが妥当。
ここで、「なぜ4世紀以前ではないのか」というと、3世紀の「魏志倭人伝」に「日本には暦法がない」と書かれているから。
歴史の要は「時系列」であり、暦法が(普及してい)なければ歴史は成立しない。
日本は暦法も中国から輸入しているが、実際4世紀以前の記録は暦法が曖昧で、
さらに古事記と日本書紀でも違う暦法をベースに古い歴史書(もしくは口伝)を翻訳しているため、
相互に時系列が異なり、「崇神天皇は168歳まで生きた」なんてトンデモ記述が生まれてくる。
この問題の正しい解釈は、「年という「基本単位」自体が定まっていなかった」であって、
「そんな天皇は存在しなかった」ではない。
実際、この暦法の問題は戦前に「小川清彦」が解明している。
小川の論文が当時公開されなかったのは、それが「日本書紀の完全性の否定」につながるからで、
関係者が全員没した1995年に公開された。
—
実は、世界全体を通して1000〜2000年前の歴史書は散逸している例が多い。
理由は「紙(やその他の薄いメディア)」への記述が一般化したから。
紙は1000年保つが、2000年は保たない。
その点、2000年以上前は「石、金属、粘土、竹、亀の甲羅等」に記述することが多かったので、
5000年前のものでも鮮明に読める。
「竹簡孫子」も、紙ではなく竹簡だったから現代まで残った。
同様に、例えば「ギリシアの暗黒時代」にしても、本当に暗黒時代だったわけではなく、
単に「保存性の悪いメディアに歴史を記録していただけ」だと私は思っている。
—
面白いことに、全く同じ問題がコンピューターメディアの世界でも起こっている。
1960〜70年代にかけてデータの記録に使われていた「紙テープ(やパンチカード)」は、現在でも普通に使えるのに対して、
1980〜90年代にかけて使われていた「フロッピーディスク」のほとんどは使えない。
また「紙テープ」は、専用のリーダーがなくても人間の目で直接読めるし、リーダーを自作することもできるが、
「フロッピーディスク」は、たとえメディアが生きていても既にドライブが一般的ではなく、自作も難しい。
「メディアの便利さ(や情報密度)と引き換えに耐久性や冗長性を犠牲にした」という点で、
両者は全く同じ「歴史」を辿っている。
私が昔仕事のデータを記録したフロッピーやPD、MOディスクなども既に読めなくなっているが、
だからといって「私の仕事自体が存在しなかった」というわけではない。
待ってた
日本史シリーズ楽しみです!
⑤朝鮮半島には二度と手を出してはいけない。
あそこは争いごとの巣窟。 手を出せば疲弊するだけ。
これが歴史の教訓。
この動画の内容を難関国公立の記述式問題で述べるだけで評価されそうなので受験生的にも物凄い価値があると思います
大国主についての記述は本編の中でも言及していましたけど、
ヤマト政権のライバル勢力であったはずの元首を全然悪く言っていないどころか、
古事記のかなりの分量を割いて成長物語を描いているんですよね。
この中に有名な因幡の白兎のエピソードや、スサノオからの嫌がらせ(試練)が登場し、
物語としても面白いものとなっています。
普通、勧善懲悪で相手をしばき倒したストーリーにしがちですもんね。
(ジッサイ、蘇我氏に対してはそのような扱いですし・・・)
相手の功績や尊厳を認め、融和を図る姿勢が日本が世界的にも稀有な内戦の少なさ、
結束力になったのではないかと思いますし、皇室を神の子孫として簒奪不可能な地位に押し上げた
当時の政治家の類まれなるセンスには感服させられます。
次回扱うと思われる道鏡事件も結局未遂で済みましたしね。
他の方のコメントにもチラホラ見受けられますが、
乙巳の変で喪失したと言われる聖徳太子編纂の国記が現存した場合の歴史ifも想像すると楽しいですね。
次回も楽しみにしています。
4~6がお兄ちゃん(天智)と弟(天武)と弟の嫁さん(持統)が始めた事って考えると、根底にある程度一貫した考え方があるんだろうと思う。
ついでに3はお父ちゃん(舒明)の一代前(推古)の時の話である。
この辺の時代の大陸との往来を考えると、ずっと後の元寇が失敗したのが割と不思議だったりする。
いささか趣旨は異なりますが、憲法十七条の第一条の「和為貴」は、『論語』学而第一の十二から引いたようですね。
ロシアにとってクリミヤ半島が膨大な負債になりつつあるようですね
ロシアとかどことなく遊牧民の末裔ですね もっとも米国と言うもっと大物にしばかれるのが
ゲンダイなんでしょうか
いつも拝聴させていただいてます。
ただ「記録用文字として漢字を採用した」と「会話用言語として中国語を採用していた」はNotEqualではないかなと思います。
日本語は中国語と文法が大きく異なりますし、日本史上混在している時期もないようなので、日本語は中国語とは完全に別の発生過程にあるはずです。
古代日本が「漢や魏に対して外交活動ができている」のに「文字(記録)がない」というのはなかなか不思議な状況ですが、これを「中国語を話していた(でも会話だけ)」とか「当時言語といえるものはなかった」と考えるよりは、「独自言語は十分にあった(ただし文字はない)」と考える方が自然かなと私は思います
専門家の指示にといわれても、その専門家がいうことがバラバラなので・・・
古代日本では日琉祖語が話されていて、漢字はその音をあらわすために借用されたんじゃなかったっけ?古代日本で上古中国語が話されていたわけではなかったと思う。間違ってたらごめんなさい。
個人的な感覚なんですが、今の憲法を改正するには200年くらいかかるのではないかな?中大兄皇子と鎌足クラスの拙速ペアがいませんね。
今の日本は全体的に良くも悪くものんびりしている気がします。
607年の遣隋使で「日出ずる処の天子」と天子を自称してお咎めなしだったんだから、その後に国号を定めたり天皇号を称しても新たなリスクにはならなかったでしょうね。
本来こういうのが日本史の授業の初っ端にきてほしいよなぁと思います。
企画のプレゼンでもストーリーはまず目的と大枠から、ですし。
冊封体制からの脱却は大事件。
大陸の「タメな君主は倒しておk」の思想が国体を脅かしたからでしょう。
新作待ってたよー
独立戦争と聞いて、一年戦争を思い浮かべたのは俺だけじゃないはず
いつも興味深く拝見しております。
天皇が神の一族として統治したのはその通りと考えますが、諸豪族も各々が神の末裔という事にもなっています。
恐らく初期には諸豪族の一つであった天皇一族を他と交替不能にするための十分条件は、国産み神話を公式とする事で、天津神の系統の中でも天皇は国を創造した神の直系で、この国のオーナー一族と規定すること。国土から自然と涌いて出てきた国津神系豪族は元より他の天津神系統とも一線を画すことが出来るようになります。
オーナー家以外の人々は間借りしている住民ですから、これが徴税権の源泉(公地公民)
となります。これがかつて肩を並べていたかも知れない葛城や平群と言った戦国後期では徳川ポジションの旧来の豪族から天皇家に力が集中した大化改新から天武朝前後に、このロジックを飲ませた事が大きいのだと思います。
長文申し訳ありません。
ラストではじめの一歩の台詞出てくるの草
親魏倭王の金印を授けたのは曹叡でなく即位した直後くらいの曹芳ではないかという説もありますね。
どこに眠っているのやら。
日本史知ってるけど、この視点とまとめかたで新鮮になりました。
自国の歴史を知ることは善いコト。これがないと、非現実的なコスモポリタニズムとか信奉しちゃうからね。 強固な建国神話は、国家の基礎。
台湾から見ると、中国の方が反乱軍になる。
中華民国の成立は1911年、政権は国民党が持ていた。中国共産党は1921年成立、その後国民党と共産党が政権を巡って、戦っていた。第二次世界大戦後、日本は中国から去った、両者の戦争が本格になり、大きな内戦になった。その後国民党軍が破れ、1949年中華人民共和国、現中国が成立した。国民党と敗残兵と支持者は台湾に逃げ、今に至る。
日本国内もモンゴル帝国から蛮族と呼ばれたバイオレンスな武士達がたくさんいるような、
山川準拠で説明するなら、最初に山川が具体的にどんなものなのか説明するべきでは?
唐が天皇という称号を認めた理由としては、当時唐は朝鮮支配(利権確保)を目論んでいて、既に利権を持っていた日本と対立するのを避けたらしいですね。まあ結局戦うんですが
序盤のたどたどしいプレゼン臭さが新鮮でした
つーか今頃、犬も猫も杓子も日本古代史を扱いだしている傾向、なんなの?
3部構成は、「神代から人の世への接続の時代」「プロレス的政治とプロレス的戦争の時代(大変なる語弊アリ)」「近代国家への身もだえと羽化」という感じになったりするのかな。※個人の見解です
団塊世代の事をすごく馬鹿にしている私ですが、これが100年200年それ以上前の事になると
割とどうでも良いかなって感じたりする(200年前は天下泰平な特異点でしたが)
今の子どもが大きくなって馬鹿にされたりするのは情報が健全で嬉しい
最後にはじめの一歩出てきてワロタ
金印(5:03)ダイワ(8:43)消毒大事(12:05)歯医者の外人(15:03)ウクライナ(18:21)5/3のこと(21:13)みなさん拙速してますか(24:00)ものごい・日本書記(26:12)大陸の戦争の流儀(32:03)・・・ 乞食が成立するまでが1~6項です(ん?4話構成??)ちなみに新羅が任那から日本軍を追い出したのが562年でちょうど白村江の戦いの100年前になるのか。くだらないようで百済なくないのか。(くだらないの語源に諸説あり)
鎌倉幕府の成立は何を以って成立にするのかが専門家でも分かれてるので普通に1192年で良いと思うんですけどね。
【25:16~】そういうことなんですよね(;´Д`)
ここで大陸から手を引くことで結果論ですが『島国』としての体裁が整うかたちになり
これによりマハン先生指摘する所の「大陸国と国境を直接に接することのない利(※同じ『海洋国家』でもオランダ等は同時に大陸国として陸軍も持たねばならずその分消耗する)」の原型を早くもこの時代の日本が獲得することになったわけです
同じ島国のシーパワー、イギリスも歴史上同じ歩みをたどるんですが
イギリスは『アンジュー帝国(大陸国家)』から『イギリス(島国)』へとフォームチェンジするのにジョン失地王の活躍(笑)(※その名の通り大陸領を大量に失う)と続く百年戦争の結果を待たねばならず(15世紀)
意図しない事とはいえ、7世紀の段階で日本がこれらを成し遂げられていたのはその後の日本の歴史において(我々自身には当たり前のこと過ぎて意識されることはほとんどないものの)極めて幸運な事であったわけです
『もしある国が陸上で自国を防衛する必要がなく、また陸上において領土拡張を求める誘惑にかられることのないような位置を占めているならば、その国は国境の一部を大陸に接する国に比較して、目標をもっぱら海上に向けて絞ることができるという点において有利である』【アルフレッド・セイヤー・マハン『海上権力史論』】
平和裏に統治を拡大する為に、学問が未熟であった庶民達に「極楽と地獄」と言う善悪の概念を教え植え付ける為の《国分寺建立》も、世界初の一般庶民向け公立学校と言う側面も含めて、日本文化に影響を与えた歴史の一つではないだろうか。うp主のご意見も是非お伺いしたいです。
海軍考察であったけど、ほんと日本海さまさまだよな