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世界映画史上最高の傑作とも言える『七人の侍』。この製作の背景には、この作品を奇跡の傑作たらしめた数々の興味深いエピソードがあります。この動画では、そんな『七人の侍』の数々の知られざるエピソードをご紹介します。これを見れば『七人の侍』をもっと楽しむことができるでしょう。
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何回見ただろう。年を齢を歳を経る毎に、凄さ凄まじさを痛感します。「役者ですから」なんつう半可通を全否定する本物の役者さんのレベル。もう無理かな?本物の日本人のレベル取り戻したいな〜。今年から色々信じられん様な変化起こって行くいう予言預言信じたい。ホンマの日本人の魂が目覚めてくれ。コンナ凄い役者さん。監督。復活する筈。
弱者にいつも優しい黒澤さん バンザイ😮
その後、俳優の方々が何回か同窓会みたいな形で集まる機会が有ったそうですが、皆さん「もう二度とやりたくない」だったそうです。
野武士側の人生を映画の3分の1を描いている点が素晴らしい。適当に雇われた侍と、百姓と野武士のトライアングルの図式。
久蔵はカッコよかったなぁ
黒澤映画を全く知らずとりあえず七人の侍か、とみてみると勘兵衛たちへの啖呵のシーンで、なんだこれは…だれだこの猛獣のような俳優はと衝撃を受けたのを覚えています。
確かに黒澤は天才だが、七人の侍は奇跡の一本だと思うかに
荒野の七人⇒七人の侍・荒野の用心棒⇒用心棒と、逆の順で見ました。洋画劇場がTVで全盛の頃、邦画の世界にも誇れる素晴らしい作品やそれをつくる人々がいたことに気がつかせてくれたきっかけとなりました。今でも1年に一度は見たくなる。このエピソードを見て、また見たくなりました!ありがとう!
本当の侍の戦いかた、かもしれませんね!志村喬最高です。😄
島田勘兵衛が好きすぎて、志村喬さんに恋しました。ちなみに僕は男です!
年末に放送された七人の侍を初めて観た。セリフが聴きづらい😂4kリマスターを買ったぜ!❤楽しみたいです❤😊名作ということを58歳で初めて知りました❤😊
もうわめくな!!(この飯、おろそかには食わんぞ)
スタントマンなし、侍には国宝級の兜、左卜全に使用したアイデアの弓、土屋さんには焼ける村落にやけど覚悟で残された。
平成3年に最期のロードショーで拝見できたのがラッキーでした。
宮口精二の迫力ある侍姿に満足した覚えがあります。
キクさんの話、はじめて聞きました。そうなんですか。この映画は何十回も観ていますが、ロシア文学からの引用も大変参考になりました。ありがとうございました。
七人の侍のような活劇が年間ならともかく映画史上の上位に選ばれること自体が珍しい。
それだけこの作品は活劇という範疇を超えた普遍的な作品として評価されてるということでしょう。
七人の侍ひとりひとりの人物背景や搾取される農民がただ可哀そうな存在ではなく狡い部分もあるなど人間描写が非常に深く長けてる。そして3時間半にもなる長尺作品なのに緩急もありユーモアも織り交ぜることでまったく時間の長さを感じさせない。黒澤明の演出もさることながらなんと言っても黒澤明、橋本忍、小国英雄という当時最高峰の三人の脚本家が時には意見がまとまらず怒声を上げながらも徹底的討論し細部まで練り込んだ脚本がとにかく素晴らしい。
アニメーションのサムライ7 私には、絶対に似ようはずの無いKYUZOが、一番オリジナルキャストの久蔵さんのイメージだったので驚きでした。
2024年末に、BSで観て、真価がわかっように思います。百姓の救済のドラマなのに、その百姓が三船に罵詈雑言されるシーン。本当に、綺麗ごとではない複雑怪奇な現実が描かれていて、驚嘆します。最後に、野武士たちを全滅させて、お祭りのような、百姓たちに対して、なんか手持無沙汰で、拍子抜けのような武士たち。維新以降の、武士の没落、百姓たちが、土地とかで成り上がっていく未来を暗示しているよう。あと、個人的には、三船が死んでしまうのは、残念だった。皆さんは、どうですか?
羅生門で墨汁を使った理由は、映画のなかで明暗のコントラスト(対比)を撮影したかったからです。
この映画で雨に使った水は近くの川をせき止めて使いました。 9:21
雨のなかに墨汁を入れたというのは、羅生門を撮影したときです。この映画ではありません。
戦いを雨のなかにしたのは、夏の話になっているのに撮影前日に雪が降ってしまい雪を溶かしたら地面がどろどろになってしまったからです。
この二つの話は有名なエピソードになっています。
久蔵が斬るシーンでは腰の入り方や刀の振り下ろし方など相当剣術の達者な俳優さんだと思っていたのですが全くの未経験とは・・・
後日それを知って驚いたものです。宮口精二氏、演技も所作も雰囲気も素晴らしい俳優さんだと思いました。
確か、アメリカ人に人気は勘兵衞でフランス人が久蔵でイタリア人が菊千代でしたね。
10回以上見た映画は、七人の侍と二十四の瞳だけです。何度見ても、何度見ても、心が動かされて見入ってしまいます。今回、特にロシア文学からエピソード紹介は初耳で、とても感謝しています。
個人的に黒澤映画は名作と凡作·駄作の差が激しいと思っている。特に晩年は理解に苦しい、首を傾げさせるのが多い。(ちなみに井上ひさしの小説·戯曲も同様に感じる。)
宇津井健が、仲代達矢と一緒に本作に出演していたと、「さんまのまんま」で嬉し気に話していたのを記憶する。さんまは「七人の侍」と「七人の刑事」を混同しているようで反応が薄く、宇津井も、視聴していた私もガッカリしたのを覚えている。
(上映時間が3時間半だから)
“1人30分!?”
by鶴崎修功
私、1954年生まれですが、七人の侍が同年の公開とは知りませんでした。実は、あのゴジラも同年の公開なんですよ。そして、両方とも東宝の作品。日本だけでなく、世界の映画にとってはすごい年だったんですね。
素晴らしい動画でした
「七人の侍」の伝説的な話しとして、作品上で討ち死にした俳優がリアル社会でその逆の順番で亡くなっているんですよね。これって皆んな知ってますよね?!
「壊滅」という小説は初めて知りましたが、なぜそれ自体映画化されてないか不思議に思いました。
ジョン・フォード(駅馬車、荒野の決闘)、ルネ・クレマン(禁じられた遊び、太陽がいっぱい)、ジャン・ルノワール(ゲームの規則、大いなる幻影)、フェデリコ・フェリーニ(道、甘い生活)と言った映画史に燦然と輝く、名作であり映画の見本というべき作品を手がけた巨匠と呼ばれるハリウッド映画、ヨーロッパの芸術映画で活躍された監督が、褒め称えた唯一の日本映画監督は、黒澤明監督以外いない。
小津安二郎、溝口健二も世界的な評価を得ているが、亡くなってから注目を浴びたのに比べると現役監督中に羅生門でベニスグランプリ、七人の侍でもベニス準グランプリと国際映画祭で賞を獲って、有名になって行った。かつ国際的なレジェンド監督に賞賛されるケースは、他では見れない。
七人の侍でチーフを務めた堀川弘通監督が、当時のエピソードを著述したエッセイを残しており、現在のように撮影現場での安全管理のハウツウも浅く、ワイヤーアクション、CGもなかったのに、そんなCG、ワイヤーアクションを使った映画が束になっても敵わないラストの豪雨での戦闘シーンは、役者達の鬼気迫る演技、中井朝一の望遠レンズを駆使したドキュメント映像、黒澤明監督が一ヵ月を掛けて編集した巧みな画面構成。それとこのラストの戦闘シーンに映画のエネルギーが集約されるように書かれた緻密なシナリオ(小国英雄、橋本忍、黒澤明)だ。
橋本忍さんが、生前に語っていたのが、黒澤明の天才的な才能に驚愕したのが、ラストの豪雨だった。
シナリオでは、豪雨とは書いておらず、村の中に一斉に野武士を引き込んで、侍と農民連合の死闘が繰り広げられる戦いと記していただけだが、豪雨の設定にし、泥だらけの足場で動きが悪くなりながらも馬、人が入り乱れて究極の戦闘シーンに仕上げた演出力を、神がかっていたと証言していた。
いづれにしても「七人の侍」と黒澤明は、不出世だと思う。何故なら、戦後10年も経っていないあの時代にあの時代劇を撮ってしまえる才能と実力を兼ね備えていた監督は、黒澤明だけだから。
私が見た、洋画 邦画を含めて「七人の侍」は第1位です!
真に日本映画の金字塔です😃😃😊。小学生の時、授業の一貫として全生徒が映画館に引率されて観たのが一回目でした。あれから何度みたことか。79歳になる今でも感動の連続です。
三十年位前に生前に7人の中のお一人の役者さんの別荘で飲みながらいろいろお話を聴きました。監督の話、東宝の予算話、ロケ地やギャラの件など驚きと大変苦労が多い作品でしたね。
荒野の七人から入りました。
①70前の初老です‼️
②この映画のMVPは⇒やっぱり志村喬ですね‼️
③粗末には、食わんぞ。周りの人を考え守らないヤツは、自分をも滅ぼすなどなど
⇒涙なくしては見られないシーンがいっぱいです‼️‼️‼️😂
40年以上前、総武線で宮口精二さんを見かけました。もう七人の侍は観ていたし、あの頃はテレビドラマにもよく出ていらしたのですぐ判りました。お芝居の台本らしき物を読んでいました。以前読んだエピソードで、宮口さんが出演する舞台に海外から招かれた演出家は、彼が七人の侍の久兵衛だと紹介されると、深々と頭を垂れた、と。
ビデオソフトやテレビで観ましたがそこまで凄い映画なの?なんて思ってましたけどやっぱり凄い映画だったんですね。
今でも「7人の侍」は世界一と思っています。77歳のジジイです
仰る通りに、70年経とうといつも新鮮でありシンプルに凄いな…って思わせられます。
映画「七人の侍」は、確かに日本を代表する世界的な名作でしょう。
B29による空襲でせがれ夫婦と生き別れになってそれっきりというキクさんのエピソード。涙が止まりません。どれほど悲しかったことでしょう。あの世では平穏に暮らしていらっしゃるよう祈ります。
突拍子もない連想だが、黒澤明と大谷翔平が並んで浮かんできた。
黒澤映画常連の菅井きんは七人の侍撮影時風邪をひいていたので出演しなかったが、あとから背中を矢で射られて側溝に落ちる役だと聞かされて出なくてよかったと思ったらしい。
「三船敏郎の尻が白いんだ。そこだけが本当に納得いかない。百姓の尻が、あんなにツルッとキレイな状態のわけがない」
と父が言っていたことを思い出します。
あと、
「ほら、今通ったこれ。この人が加藤武だ。釣りバカの専務だ」も。
母国語でネイティブに楽しめて、日本人で良かった
50年前、剣道部だった私は映画大好きな剣道部の友人に、剣道部を舞台とした「五人の侍」(人数不足のため五人)を、部ごと丸め込まれ、撮りました。
フィルムも高価で、何より8ミリカメラ、よく調達できたものです。その友人を尊敬します。
音楽もレコードから録音編集して、まあ、なんだかんだ楽しかったです。(文化祭か何かで上映しました。)
何回見ても、何度聞いても、あの、初めのシーンの後の野武士のテーマ「ドン!ダダ、ダダダダ」の音楽が流れてからの緊張感は緩むことがありません。
私は当初、菊千代役だったのですが、ごねて久蔵にして貰いました。ちょっと、いや、かなり嬉しかったです。
私が「七人の侍」を初めて観たのは確か1991年。リバイバル上映でした。終演後、場内から拍手が起きたのを、今でも覚えています。この作品には男の「強さ」「優しさ」「哀しさ」人間の「ズルさ」「哀れさ」などが描かれていて、更に「アクション」あり「笑い」あり「ラブストーリー」あり、映画の面白さの全てが詰まった傑作です。
当初予算が足りなくて、最初の試写会では戦闘シーンの前までだったと聞いています。続きが見たいスポンサーが追加で予算をだしたそうです。
中学時代の同級生の親父さん。土建会社の社長さんだったけど、東京の大学に通っていた時、エキストラのアルバイトで「七人の侍」のクライマックス、雨中の決戦シーンに参加していたという話を聞いた。撮影前日に雪が降って、雪のけやってから、ホースで雨を降らせての撮影だったので、物凄く寒かったとの事。
近くの温泉宿を抑えていて、出番が終わった演者やエキストラに直ぐ温泉へ行くよう指示があり、三船敏郎ら主要キャストとエキストラとが同じ大浴場で入浴したという話を聞かせてもらった。
七人の侍を最大限楽しめる事に日本人で良かったと思う。
折角の撮影秘話ではあるがAIの?朗読が日本語になってない、興醒めだった。
それと私は“侍ジャパン”とか“侍ブルー”など、侍を日本人の誇りのような扱いに大いに違和感を抱くものであるが、そのきっかけが敗戦後という時代背景の中での、この映画の世界での高い評価にあったのかと思い至ったのである。