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※【出典】今回話した「作品」は…
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ごちそうさまです!
昨日観てきて
解説動画あさりしておりますw
女の子は、ミナトくんが気になってて、2人で音楽室に行くのも照れちゃうけど、やっぱり気になって覗いちゃったら、2人の空気感に気づいちゃって、嫉妬やらなんやらで、猫の話を先生にしちゃった。という感じでしょうか?
それで2人の関係性が壊れたりすれば、ワンチャンあるんじゃね?とか思ったかもですね。
ヨリくんは、ミナトくんのお母さんに「先生が、君がミナトから虐められてるって言ってたんだけど」みたいな話を聞いたんでしょうね。そーなると完全に先生は敵になってしまいます。勘違いも甚だしい、僕たちのこと何も知らないくせに!って思っても仕方ないことだと感じます。
先生もお母さんも子供たちを自分と同じ1人の人間としてしっかりとした対話をしようとしていれば、物語は大きく違ったかもしれませんね……
聞きにくい冒頭のアイツうんぬんカットしないクオリティーに途中で聞くのを辞めました
興味なしリスト入り
ラストの個人見解(憶測)です。
生存している。
晴天の世界は二人の共通夢で、二人は電車の運転席で気絶している。運転席には土砂が掛かっていない。車内は暗く母親と先生はすぐに見つけられなった。死を連想させる描写が多いが、それはミスリード(物語全体としてもミスリードが多いため)。そもそも死ぬ必要が物語上無いのでは?どんなときも二人なら乗り越えて行けるという強い気持ちを乗車した二人から感じ取れたので、現実の厳しい世界でこれから二人で生きていく方が残酷だがしっくりくる。
保利先生の彼女が「穿った見方」と言う間違った言葉を使ったように、”うがったみかた”をしているのは大人たちばかりで、よく肝心の当事者が置いてけぼりの案件が世の中に溢れています。子どもたちも含めて何気ない言葉で傷付き人生も大きく変わることもあります。火事の日、現場近くに居たいじめっ子たちが保利先生の動画を撮っていて麦野くんの目にも映ります。「全然似てないよ」と少しイラついた後に、あのウソへと繋がって行きます。でもそのウソは身近に居て不思議では無い存在でもあったからだと。咄嗟に出た保利先生の名前が疑いに変わって行くことは星川くんも麦野くんにも思いもよらなかった大人の世界の社会的制裁でした。木田さんもそのうがった?解釈に戸惑ったのでしょう。銀河鉄道の夜を彷彿させるふたりの世界は大人のうがった?解釈をよそに淡々と只々美しく描かれています。その美しさは、我々が良いように解釈した夢の世界かも知れません。谷合を走り抜ける電車に気付いて、嵐の日に土砂の電車から移動して出てきた時に、「そういうのは無いと思うよ」と言ったのはある意味子どもの方がリアルを生きているようにも思いました。
校長先生が依里くんが落とした着火器具を渡すシーンで、自分の学校の生徒である依里に気付いていない様な描写がある
留置所?との夫との会話で夫が認知症ではないかと思ったが、自分の学校の生徒に気付いていない校長が(も)認知症なのではないかと思ってしまう
やっと見られました!
体操服に着替えるところもあったけど、星川くんの体の傷には4年生までの担任の先生とか気づいていたはずで、保利先生は新任だったので、引き継ぎをきちんとしておくべきでしたね。子ども達へのアンケートだけで退職させられるのも学校が事なかれ主義であることの象徴のように思います。第三者委員会などの調査も必要だったと。みんなが守りたいもののために本音を言わなかったり言動がエスカレートしていってしまう。そんな中では子どもが本音を言うことができる人を見つけられない。
とりあえず、廃車両の放置はよくないですね
作文について、感想の感想です。
鏡文字が2人の名前だけなのか続きがあるのかは分かりませんでしたが、名前を書くということ自体、好きでなければしない行為だと思いました。
さらに、先生が自身の小学校時代の作文で「西田ひかると結婚します」と宣言していたことから、子供たちも同様に作文で好きな人を宣言したのではないでしょうか。
先生の趣味が出版物の誤植探しだと知らない2人は、まさかそれが先生に見つけられるとは思っていなかったと思います。
坂本裕二さんの脚本が好きなので観に行きました。
家では虐待され、学校ではいじめに遭い、学習障がいのことも気づいてもらえてない様子の依里
それでも明るく振る舞ってるの泣けました。
見終わって、なにも解決していないので、スッキリしないまま帰りました。
でも、みなさんこ意見を聞いてもう一回観てみようかなと思っているところです。
女の子は湊の事が好きだったけど、2人になるのが恥ずかしくて音楽室に依里と行かせた。そこで2人の仲の良さに気づいた(音楽室の外で盗み聞きして物音を立てるシーン)。確信を得るためにイジメの時汚れた雑巾をあえて湊に投げつけた。湊が依里に雑巾を返した事で2人の仲を確信した。っていう他の解説動画がしっくりきました。
観てきました! いい映画でしたね。
女の子は、他の方も書いてらっしゃいますが、猫のことをただ先生に伝えただけで、それを保利先生が「湊が猫を殺した」と曲解したことに大きなショックを受けていたように見えました。教育課程で虐めや発達心理をある程度学んでいるはずの先生は、湊が依里を虐めていると本気で思っていたため、加害的人格の危険な兆候である小動物虐待のイメージを短絡的に湊に結び付けてしまったのだと思います。女の子は、タンバリンを運ぶなら依里も音楽係だと伝えた場面と、絵具がついた雑巾を湊に投げる場面から、二人の関係性に気づいているし、どちらかというと応援している立場だったと思います。多感な年頃なので少し恋心や嫉妬も混じる複雑な気持ちだったのかもしれませんが。
依里が嘘をついた理由には、いくつも要素があると思いました。1つ目かつ最大の要素は、保利先生が「男らしい/男らしくない」という言葉を使うこと。男らしい、という言葉を、まるでそれが人間の価値が高いことででもあるかのように頻繁に使う保利先生に、依里は父親を重ね、激しく憎んだと思います。この部分は先に湊が嘘をついた心理とも繋がっているはず。豚の脳の話をしたのは依里の父親なのに、保利先生に言われたと嘘をついたのは、その二人を同類とみなし、男らしくない自分たちを理解してくれることは無い相手だと考えている、ということかと。
保利先生自身が小学5年生だったときの作文も、野球選手が好きでアイドルと結婚したくてという内容、そして「将」という字を黒板に書いて生徒に学ばせようとするなど、本人は悪気無く彼女にも言われた通りに自分らしくふるまって、自分の価値観で話しているだけですが、話している場所が教壇である以上、彼の言葉は依里や湊にとって、父親や母親の言葉と同様に「正しい普通」として強い圧を持ってのしかかったはず。
その先生が、掃除中の湊の髪をくしゃくしゃと撫で、タンバリンを運ぶように言います。その後、一緒にタンバリンを運んだ依里が、音楽室で二人きりになったときに、愛おしそうに湊の髪に触れるシーンがありました。ここは明らかに、依里の保利先生に対する対抗心が表現されていたと思います。
その音楽室で、湊は依里に「みんなの前では仲良くしたくない」ということを伝え、依里はそれを尊重する約束をしました。湊のついた嘘に対し、本当のこと(=湊が暴れたときの真相は、自分が虐められていることに対して湊が怒りをぶちまけていたのであり、先生は殴ったのではなく暴れるのを止めただけだが、そこで保利先生が誤解して湊に謝れと言ったのを、湊はそのまま受けて言い訳もせず謝った、つまり依里をかばったことを言わなかった)を言ってしまうと、音楽室での約束を破ることになります。依里を本当に虐めていた男子たちが追及を受けることにより、湊は完全に彼らの敵になってしまい、依里の仲間だということで同じ扱いを受けることになる。依里は湊がまだ湊自身の気持ちを受け入れていないことも知っています。依里にとって、湊が自分を虐めたという疑いは絶対晴らさなければならず、でも本当に虐めていた連中を名指しすることも湊のためにはできない。保利先生が湊を虐めたことにしておくのが、依里にとって最善の選択だったのだと思います。いじめっ子連中もそうしておいてくれと思ってるはずだ、と踏んだのではないでしょうか。
作文は二人の名前が並んでいただけでしたが、それだけを見て保利先生が察することができたのは、依里の家を訪問したときに父親の吐いた「あの子は怪物です」という言葉に強い違和感を抱いたまま帰ってきたからでは。その違和感の意味が、あの作文を見た瞬間にすべて繋がり、なにが起こっていたのかを完全に理解したのだと思いました。
私の勝手な解釈ですが、物語の前提として、ホリ先生は何らかの発達障害があって、人の気持ちを推し量るのが苦手なのではと思います。
①女の子の猫の話は、ミナトがいじめっ子と思いこんでるっぽい先生に対して、ミナトとヨリが本当は仲良し(本当はミナトとヨリが二人で猫を見ていた)と先生に暗に伝えたかったけど、ホリ先生が察しが悪すぎて、ミナトにも事情を聞かなかったし女の子の思ってたのとは違う風に話が伝わったのだと思いました。
②ヨリが「ホリ先生がミナトくんをいじめてる」と証言した事は、ヨリが閉じ込められてたトイレでミナトが出てきたとこをホリに見られていたし、ミナトが暴れたシーンでホリがミナトを責めているのをみたので、「ホリ先生はミナトが乱暴者でヨリをいじめてると思い込んでる」と知っていて、その上でミナトを守る為にホリ先生の言ってる事は嘘だと言う意味で言ったんだと思います。ヨリはミナトが好きだから、1番守りたかったのはミナトであり、ホリ先生はどうでもいいと思ってたと思います。
③作文の横読みについては、もし自分が小学生だったら好きな子と名前を並べて書いただけでそれは特別な事だと思うから、その後に親友とか?そう言う類の文言は続けなかったと思います。それまで鈍チンだったホリ先生が二人の関係をあれで気がついたのは単純に「ひらめきがあった」としか言いようがないです。みなとの名前だけ鏡文字だったのは、みなとの名前だけ特別だからそうしていたのか、それともネグレクトだから直せなかったのかわかりません。
④ラストシーンは、私も観た時は現実世界じゃないと思ったんですけど、監督か脚本の方がインタビューで「同じような境遇の人たちに希望を与えるような作品にしたかった」的な事を言っていたので、二人の夢の世界なのか現実なのかわからないけど、作者が言うんだからきっと希望がある最後なんだと思いました。
間違ってるかも知れません。すみません!
他の方のコメントと同様ですが、女の子は嘘はついてなかったですね。(遊んでたと言っただけです)
ちなみに映画では省略されてますが脚本を見ると、女の子は2人の関係に気づいて応援していたようですね。(湊は触れて欲しくないので、迷惑で拒絶していたようですが)
依里がウソをついたのは、、校長室に呼ばれて、湊君にいじめられてるよねって、彼からするとあり得ない誤解の決めつけをされたので(先生が作文に気づくかなとか、信頼してたのに、真逆の対応をされたので)、防衛本能も働いて報復的なことを言ったのでは?と思います。
事実から作り出された事柄が、事実となってしまう社会について投げかけた作品として受け止めました。例えば、火事のビルのガールズバーに保利がいた、と間違った事実が伝わっていくように。その作り出された事実を確かめる大人はほぼいないのが現実。保利が校長に孫をひいたのはあなたでは?と問いかけた時のように、死を考えるほど追いつめられているような場合だけなのではないでしょうか。
保利は全く向いていない教師という仕事を彼なりに一生懸命勤めていたと思います。
本当に良い教師とは、自らの初めての感情をもて余している生徒にトロンボーンを差し出した校長なのではないかと感じました。
それにしても、瑛太さん、全くカッコよく見えなかったのは、不思議というか、さすがというか。
メガネが紙ではなく机を消しゴムではげしく消していたのは…何なんでしょう?
女の子の発言は、正義感だと思っていました。学級委員タイプの子じゃないかと。
依里のウソは、とっさに湊をかばったんだと思います。事実を述べないことでどうなるかの想像力がまだ作られていない、保利のことなんて頭に入っていない子どもの至らなさがそうさせたのだと思って観てました。
ラストは大人や生まれもった男性性からの解放を好きな人と共有できる喜びではないかと思ってました。そこに矛盾が生じているのが切ないなと。でも、そうじゃないですね。動画見てよかったです。笑
手裏剣を欲しくなったすけまるさん。やさしさと残酷さを感じます☺
保利先生が湊を殴ったようなパート1から保利先生視点でのパート2の事実は湊が星川くんのことで直接かばうことができなくて、一人で暴れ出しました。
そのとき保利先生の手が湊の顔にぶつかってしまって鼻血が出ました。
この様子をクラスメイトの複数人が目撃していた。ここについて誰も保利先生は殴ってはいないと言わずにスルーする理由が見当たりません。
保利先生はクラスの中で嫌われていることはなくそのことをアンケートで保利先生の無実を伝える生徒がいないこともおかしい。
わっ!岸辺露伴見てしまった
女の子はBL本のような漫画を読んでいたみたいだし、湊くんと星川くんの関係性に気付いていたっぽい…
ごちそうさまです。怪物見ました!二人のお話が聞けるなんてとてもうれしいです!
木田さん。「猫であそんでいた」その場にはよりくんもいたはずだけど、よりくんの名前を出さなかったのは木田さんは二人の関係に気づいていたから。告げ口したのは木田さんが二人の関係を知って港くんに失恋をしたから。でもコ□したまでは言っていない。遊んでた。といっただけ。それをホリセンが港くんがコ□したかのように言ったから
そんなこと言っていない。といった。
作文‥先生は誤字などをみつけるのが趣味。それを利用して、ほしかわよりをほしかわすきに見えるように誤字をわざとかいたのかなと思いました。
気づくかなー?と言っていたので、誤字を見つけるのが趣味な、先生だから見つけてくれるとおもったのかな。
先生、お母さん。
先生とお母さんはそれでも男か?とか普通に好きな人と結婚してほしいなど、
ふつうの男とは。みたいなのを知らず知らずに子供におしつけていた。
港くんは普通ではない。と言われてるように感じていた。
だから少し先生に反撃したかったのかも?親にこういうふうに言えば、こう動いてくれるだろうと軽い気持ちで言った言葉が港くんが想像してた以上に親がモンスターペアレントになってしまったんだとおもいました。
最後に先生が間違ってた。と謝りに来たのは、
二人の関係を知って、
男とは。というものを押し付けてたことを謝りに来たのでしょう。
でもわたしもやはりいじめの主犯よりメガネくんが一番許せません。
この映画は一回目と二回目みかたががらっとかわります。ぜひ二回みることをオススメします!
眼鏡の男の子は、消しゴムで必死に机をこすっているシーンが2回くらいあったので、
依里をいじめないと次は自分が、って思ってたのかなって私は思いました。
依里の父はなかなかのクズだし、保利先生の彼女も相当だなと思いましたが、
この2人にもこの2人なりの感情があっての事と思えるので、誰のことも責められないなという感じがしてます。
お二人の話に校長先生がいないのが、まさにシナリオ削りすぎる問題の影響ですよね。
この映画『優しい人』しかでてないんです。優しい人が、何かを守ろうとしたり、悪気のない偏った見方だったりタイミングが悪かったりで人を傷つける映画で、それに追い詰められる少年2人。他の人の視点からみたら不気味で得体のしれない怪物にみえても、その人の視点でみるとあぁ別に悪いことしてるんじゃなくぜんぜんその人にとってはしょうがない行動してたんだって分かります。そんな人たちだしたのは、これは結局『あの少年2人の恋愛話』だからです。対岸の火事で見てる人にはあの2人の痛みに気づけない、対岸の火事じゃなく、対等な立場で向き合うことのできた、校長先生だけが結果として湊のプラスになることができました。ホリ先生は自殺しようとおいこまれて、ホルンの音を聞くことで対等な立場になり、みなととよりの気持ちにきづくことができたと思います。少し遅かったけど。最後の幕は湊と校長先生視点です。校長先生は多分認知症です。旦那さんとのやりとりも、折り紙も、それを示唆してます。夜中タバコ吸ってるとこでヨリに声かけなかったのも、自分の学校の生徒だって忘れてたから、なんなら自分が孫ひいたってのも忘れてる時あったかもしれません。
依里の父は『メガバンク出身』と言ってました。いまは違うということですよね。虐待する人間は生まれた時からそういう人だったっえよりは、社会に追い込まれたりそういう経験がトラウマになったりで子供を愛してるのに間違った接し方をしてしまうってあるそうです。
少女は2人をありのままを見てそうで実は自分の趣味を通して自分の理想の2人を見てただけでした。猫の件、嘘は言ってないです。ホリ先生が行きすぎた解釈しただけで。あの時の場面『猫の死体』あったんですかね。ホリ先生の発言「猫が?」って違和感ないですか。あくまでここに死体あった、でも湊が連れてった報告。湊が理想のBL結末になると思って不安になってホリ先生に話しただけじゃないかなと考えました。
よりが嘘ついたのは湊が隠したいって気持ちを尊重して嘘ついたのかなって、またそこには男らしさを無意識に押し付けるホリ先生への軽蔑や、優しい先生なら助けてくれるかもって淡い期待もあったのかなって考えました。
怪物は人間の中に潜む偏見だと思います。誰しも自分のものさしで正義感を振りかざして生きているので、知らず知らずのうちに怪物を生み出しているのでは?何気ない言動が相手を傷つけているのに気づかずに人間は生きているのだと思います。
ラストについて
私も感動し過ぎて一瞬だったので見逃したのですが。。
彼等は銀河鉄道の夜の世界から帰ってきた模様
ラストカットは現実世界へのトンネルへ駆けっこする2人だったらしい。
更にそのラスト台詞が生きている決定だったみたいですよ。
銀河鉄道の夜は死を連想します。
しかし、是枝裕和、坂元脚本
御二人の人柄からして絶望だけで終わらせたくない。そういう事で生きているラストにしたのかな?と。
私はもう1度観て確認しようと思いますが。
うわっ!これ観たかったやつ!観てから、また来ます!🏃♀️💨
いつもありがとうございます♪
長くなりますが私なりの3つの謎解きを書いてみますね。
まず、女の子はあそこに猫の亡骸があるのをいつ知ったのかな?と思いました。
依里が湊に教えた時にこっそり見てたのかな?だとするとやっぱり嫉妬でしょうか。
次に2人の嘘で保利を犠牲にしたのは、
2人にとって保利先生はどんな存在だったかと想像すると、
そもそも2人とも父親の影響で大人や社会を信じてないんだと思いました。
保利先生はどん底に落ちて死ぬ思いをしたから進化して鏡文字に気付いたけど、
元々は成績はいいけど人間関係には鈍感なタイプで
虐めにも虐待にも気付かない、気付いていても力になってくれない彼らにとっては信じられない大人の1人だったから、
自分達を守るために保利先生のことを巻き込んでも仕方なかったのだと思いました。
保利先生の嘘というのは、単純に虐めの加害者が本気で湊だと思ってたんだと思いました。
急に走り出したのは、自分の勘違いに気付いて真実が見えたからだと思いました。
キャストもロケ地も音楽も良くて素晴らしい作品でした。
皆さんの見解も楽しみにしてます♪
追記:原作読んでみたくなりました♪
皆さんは湊が宿題をやっていて、母親が買い物で買い忘れたものをコンビニヘ買いに行き、戻って来るまで落とした消しゴムを拾う動作のまま固まっていたのは気になりませんでしたか?
あれは「将来」がテーマの作文で、(男の子が好きなんだと気付いた)湊が自身の将来(母親に言われていた普通に結婚して~~)を想像出来なかったって見解で合ってますかねぇ?
見ていくにつれてどんどん感情が変化していく、想像を超えるすばらしい映画でした。
女の子はBLの本を読んでいたっぽいので、おそらく湊と依里の関係に気付いていたと思います。それはそれとして、猫の死体があった報告を先生にしたかっただけだと思います。「麦野君が遊んでるところを見た」と言ったのも深い意味はなく、報告の一つなのではないでしょうか。遊んでる=殺したと先生が勝手に解釈しただけなので、女の子は本当に嘘は言ってないんですよね。
私は、先生についてのアンケートで生徒皆が「ある」に丸していたのが謎でした。怖がられている先生には見えなかったので。これも、見る側によっては違う印象ということなのでしょうか。
色々確認したいので、もう一度観に行こうかなと思っています。
以下、小説を読んで知ったこととなります。
①女の子のウソについて
女の子は嘘はついてなかったです。
「猫が死んでいた」「麦野君が猫と遊んでいるところを見た」と女の子は言ったのですがそれを保利先生が「麦野が猫を殺したかもしれない」と要約したため女の子はそんなことは言っていないと先生に言いました。
②作文について
星川くんだけでなく湊も同様に作文の文頭の文字を「むぎのみなとほしかわより」としました。
二人の作文から保利先生は横読みに気づき、二人の関係性を理解しました。
ごちそうさまです🙏
(はじめて書いてみて少し気恥ずかしいです💦)
ビール買っとけよのくだりめっちゃ笑ったw
ごちそうさまです🙏
私も最初、女の子がなぜ嘘をついてるのか不思議に思って色々レビューなどを拝見しました。
拝見して納得したのが「嘘はついてない」ということでした。
先生が「麦野が猫を殺したかもしれないって話、皆の前で話して欲しい」という言い方をしたので「そんなこと言ってない(=殺したとかそこまでは言ってない)」ってことなのかなぁと思いました。
彼女の中では嘘ではないという感じなのかなぁと思いました!
原作ではすけまるさんの言うように嫉妬心が描かれてるようですね。
知らんけど!
私も原作読まなければ!!
依里の嘘はただ湊を守りたかったんじゃないかなって思ってました!
てか、豚の脳ってなんなのよ😤
そんなん子供に言うか??
あの父親が1番怪物だわ!!
あー腹立つ!
色々と考えさせられる映画でした!
あと2回くらい見ないとな~
ごちそうさまです🙏✨
おふたりのレビューが大好きです!
イチ😁