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出来るだけ高画質にしました。
この度は、非常に大勢の方々にご視聴いただきありがとうございます。
投稿者からお願いがございます。
賛否両論あって当然です。快く思っていない方もいらっしゃるのも当然です。
実話に基づいて映画、ドラマ化された作品はたくさんございます。
しかし、真実を何も着色せずそのままストーリーとして発表されたものは
はっきり言って皆無だと思ってます。
大抵の作品は、多かれ少なかれ盛り上げるための着色をしていると思います。
この「あ々野麦峠」もまた然りです。
私は中学生の頃にこの映画を見て感動し、非常に衝撃を受けました。
是非皆様にも見ていただきたいという素朴な思いでアップした次第です。
決して悪気があったわけではありません。
なので、あまり否定的に批判するコメントはお控え下さいます様お願いします。
「真実はこんな感じでしたよ」程度に留めておいてください。
皆様に気持ちよく視聴して頂くためにも、どうか宜しくお願い致します。
ほのぼの
25歳の娘に観せてみました
ブラックな仕事だの連発
飛騨が見えると言って
息を引き取るシーンで
泣いてくれる事を望みましたが
これも時代の流れでしょうか
仕事で辛いときはこの映画を
思い出して頑張ってくれたらと
思います
アップありがとうございました
この映画は、中学の体育館でみました。そのときの子供ながらにして
悲しい衝撃をうけたのが忘れられません。素晴らしい映画でした。
大竹しのぶさんは昔から、なんか独特な雰囲気をもっていて
とても素晴らしい真の女優さんですね。
アップ主様、賛否両論あるかと思いますがこの作品をアップして頂き心から感謝致します。
「ああ野麦峠」は私か小さかった頃父親がテレビで観ていました。
とりあえずみねちゃんの父親・検番・製糸工場の社長及び息子が最低すぎてドン引きしました。
製糸工場は女工さんたちがあるから経営が成り立っているのです。
バカな男しかいなくて腹が立ちました。
なんの咎めもないしね。
検番と息子は不幸のドン底に堕ちてもがき苦しんで欲しかった。
みねちゃんの父親も同様。
私は工女さんが働いていた岡谷の生まれです。この映画は小学校の体育館で観ました。
みねさんの『ああ飛騨が見える』と言って亡くなったのを見て大泣きしてしまいました。
久しぶりに観ましたが今見ても感動しますね😢
投稿者ほのぼの様へ、賛否両論はあるかと思いますが、よくぞ完全版をアップしてくださいました。私もかつて女工が歩いた野麦峠を歩き、最近の岡谷や諏訪湖近辺も探索、当時の様子を模索したこともあります。映画は数ある原作のエピソードの中から政井みねのケースを中心に脚色でまとめたものと思われるため、事実とは異なるストーリーもありうるかと思います。ただ大切なことは大日本帝国憲法当時の環境下で、ゆくゆく”命と生活を守る”ために会社に嘆願書を出し、やむなくゼネストにむかう当時の女工さんたちの心境を知るうえである程度は史実として描けているのではと思います。いつの日か「新緑編」もBS等で放映されるようになりましたらYouTubeでもアップしてくだされば嬉しく思います。
100円工女のみねさんは半年の労働で家が二軒分建つ給料をもらい会社を移りたければうつれヘッドハンティングの対象の女性だった。
Londonの日本人より、この映画にある様な貧しい、水飲み農家は畳は無く、その上、寝るのに布団も無く、笑の中に包まって寝た貧しい百姓、この話は私の祖母が育った田舎、明治の32年ごろの暮らしだった。その余りに貧しく勝朝5時から夕方農家作業から帰っても藁を叩いて縄の材料を作る作業も有り、寝るのは9時ごろ、そして次の朝にまた起きて飯の準備やり、昼飯の飯も作って出掛ける。朝方は2時間家での準備その上、学校などゆく暇も無く、貧しさ故に字も読めず、私の祖母は14歳にして東京へ出て女中として真面目に働いた。祖母が東京の家に自分の部屋を当てがわれ、板の間の部屋の中心に畳一枚がひいて有るのを見て、涙したと言ってました。それ程田舎では女は大事にされず、でも東京での生活は布団も有り、風呂にも入れて、良かったと言います。田舎の水飲み農家より遥かに良かった女中生活で、その後、関東大震災、そして子供3人に恵まれ長男の男が戦争に行き、
戦地から帰国して、一代で300人の会社を成した。私はその様な野麦峠の様な生活に食いしばって、働いた時代を聴き、私はこの海外生活に感謝致してます。
CGではない本当の撮影 で、これだけのダイナミックさ すごいです 自分は来年60才のバブル世代ですが この映画は初めて見ました 今のCGばかりの映画とは随分違った印象を受けます 雪山での撮影 ずいぶん寒かったでしょう それだけではなく事故やけが人がなかったのが心配になる位です こういった安全面から 現在では厳しい 映画と言う分野で、遺産的な面があるのかなと?と思います。
春をまって峠超えることはできなかったの?
この時代、貧しい人がいる一方で、元勲と呼ばれる政治家たちは本宅以外に見事な庭園つきの別荘をいくつも保有、妾も複数人囲い、国民から重税を課した上のもと、人生を日々謳歌していたが、もとを正せば彼らはテロリスト集団であり、文華を有せざる蛮族と言ったところか。
昔より今のほうが泣けて仕方がない
コロナが流行ってから2年、毎日休まず必死に働いても
賃金は減らされ冷暖房入らず仕事は減らず
周りはバタバタ感染していく中自分は風邪っぽくても
体調悪くても病院行ったら最後と思い薬でちらし続け
やっと年末休みに入ったので病院行こうと思います
自分が死んだら誰か怒ってくれるか泣いてくれるか
祈ってくれるだろうかと重なりすぎました
小学校の時、全校生で鑑賞した思い出。
背負いながら峠を越える感動的な場面で『おミネー、水のみねー』というセリフがあった? 鑑賞後、そのセリフばかり皆で叫んだ記憶しかない。
著者の取材メモでは峠で亡くなったミネさんは3年前から病気で毎年仕事に行って亡くなる30日前から病室で寝ていた。
山村の重労働の後は電気ガス水道のない家事が待っている時代から労働時間を短縮し余暇やオシャレを楽しめる時代に導いた岡谷の製糸工場は女性の恩人なのだ。
今も世界のどこかでこの映画に近しい形で命が搾取されてんだろな、ダイヤモンド採掘とか。あっFIFAカタールカップもか。。。
小学生の頃ただただ暗く悲しい映画と感じていた。今改めて見ると、歩合制の営業会社と酷似していると思いった。百円工女として持ち上げられ、他社からスカウトされ、家族に大事にされるがむしられ、体を壊す程無理をする。
若い女性か働き盛りの男性かの違いである。結核で亡くなるラストでなければ、実家を大きくする孝行娘であり、何時までも頭が上がらない偉い姉偉い妹なのである。
暗い悲しいと思った事が至って普通に印象が変わった。
ただ、自分が歳を取り一番感じた事は大竹しのぶさんの演技です。まるでドキュメンタリーのようですね。
ウルトラセブン(諸星弾)が嫌いになりました。
原作者が実際は暴力などない映画はフィクションだと言っている。
証拠に原作ではみねさんは腹膜炎。倉庫ではなく病室で半月のあいだ食事や看護を受けている。
周囲の入院を断って峠越えはみねさんの強い希望。みねさんが男性から好意を持たれていたもない。
これ、ノンフィクション映画なんですね…
みねさんのお墓もお寺にあるそうです。
辛い場面が多くありますが昔の日本の様子がよく分かる素晴らしい映画でした。
Lovely video. I really enjoyed it. 🙂
最後に鹿鳴館のきらびやかな衣裳、あの女工さんが体験できない世界。
そしてきらびやかな衣裳を女工さん達が作った糸で踊ってる上流階級の人達。
何か矛盾を感じてしまう。
当時はこの様な工場が一般的だと思われているようですが、実は全く正反対で仕事の時間の中に勉強の時間を設けるとか女工の待遇は酷くなかった様です。また、映画のモデルになった工場の経営者は逮捕されているそうです。
映画のような暴力はなかったとあゝ野麦峠の著者が言っている。
真面目な経営者が振るわない暴力を振るったと公にするのは冤罪に近い。それを単純に信じて経営者はブラックと断定するのも冤罪に近い。
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速やかに本動画の削除を求めます。
中学の時に学校推薦の映画だったので見ました。
何十年ぶりに改めて見るとすごい感動しました。涙腺崩壊です😢😂
今も大活躍されてる女優さんばかりですね。
ウルトラセブンが何やってんねん!
作者の山本茂美氏が映画のようなことはなかったと言っていた。
🙇♀️🙏❤️
はじめて観ました。後味悪い作品でした。みねさん他かわいそうすぎて、せめてその後のこの会社の
行方や今がどうなってるかくらい知りたいですね、もしも残っているなら問題です
感動とか日本の映画みたいな感想が信じられない
あってはならない話です。やはり会社代表や息子のその後は今の時代では出して当たり前、
ムカつきすぎ涙より怒り
日本の今のこの時代に
生まれて来たことを
感謝せざるおえない
そう思わせてくれる名作
有難うございます!何回見ても良いですネ!有難うございます!西澤
いくら出稼ぎとはいえ、今の時代じゃブラック企業
・・・。
絶句。
資本家・政権与党・官僚の暴走、一般国民不在の国家の舵取りをさせないように何処でも良いから野党に監視をさせること、国民が常に声を上げることが重要だと思います。
この映画を観てうっかり感動しちゃった人に笑
「女工哀史の真相 照光寺」で検索してごらん笑
一部を抜粋する。
****
山本茂実の『あゝ野麦峠』は、戦後日本の革命思想がもてはやされた絶頂期に公刊されました。山本薩夫監督の映画は、自虐史観の先鞭をつけるものでした。彼は自他共に認める筋金入りの日本共産党員でした。そのような人がつくった映画なのでした。
山本薩夫監督の映画「あゝ野麦峠」では、女工の宿舎で火事が起こり、部屋に閂(かんぬき)が掛かっていて女工が逃げ出せず、悲惨なことになったように描かれていますが、実態は違います。閂は女工が逃げ出さないように外に掛かっていたのではなく、不埒な若者が夜這いをかけないように、部屋の内部に掛けられていたのです。
衛生管理も徹底していて、無医村の多い時代に、当地では開業医が林立していました。 女工が無学であってはいけないということで、製糸家は学校を造り、修学までさせました。 女工は県外から募集しただけではなく、地元のほとんどの子女も就業していました。あこがれの職業だったのです。
これのどこが「哀史」なのでしょうか。
女工達はみな野麦峠を歩いて来たように書かれていますが、全行程を歩かなければならなかったのは、明治40年頃までであって、中央線の開通と共に、ほとんどが汽車を利用していました。
大正の頃は、集団で歩いて峠を越すことはありませんでした。徒歩の途中の旅館代より汽車賃のほうが安かったからです。政井みねの頃は、すでに鉄道を利用しようと思えばできたのです。
また明治末期までは2月に峠を越えることがありませんでした。春蚕が出始める6月以降でないと仕事がないのです。しかも、12月末まで操業することはなく、11月頃帰ることが多かったのです。 その頃の時代設定の小説と映画で、雪の飛騨峠を越えるということは、実際にはありえないことでした。
このほど山本茂実の取材ノートが収められている松本市歴史の里の協力で、岡谷市教育委員会が調査分析し、同氏の小説は歴史書としての扱いはできないとの結論を得ています。この芥川賞受賞小説は、内容が出鱈目だったということです。でも、このことは世間ではほとんど知られていません。
大竹しのぶさんが若い。演技上手い。
今の日本の礎となられたこの方達を忘れてはならない。
おみねさんは半年の労働で半年は家で休み家が二軒建つお金を稼いだからエリートなのだ。
みねのラストシーンに鳥肌が立った。リアルな最後ってあんな感じなんだろうな。昔の役者さんの演技って何か魅入ってしまうよね。
地井さんの目力はすごいね。
あらためて名優の凄さを知りました。
この映画に出てくる工場、うちの地元です。今は取り壊されてコンビニになってますが。
ガラテヤ人への手紙 1:4 彼は、神と私たちの父のみこころに従って、私たちを現在の悪の世から救い出すために、私たちの罪のためにご自身をささげられました。
神を知り、永遠のいのちを持ちたいと真に望んでいる人にとって、あなたが心から神を求め、あなたを罪から救い、あなたの心の中に来てくださいとイエスに求めるなら、神はあなたを救い、神がいかに真実であるかをすぐに知るでしょう。 .最初に神を求めずに永遠の命という無料の贈り物をあきらめないでください。裁きは非常に現実的です。神のご加護を。❤🙏🕊
TV番組で、工女さんたちは
日本の未来をになう繊維業界を
支える存在として、ちゃんとした環境で
雇われていたとやっていて、えー!と思いました。子供の頃みたこの映画が衝撃的で
大竹しのぶさんも好きでずっと覚えていたので。
思い出します。子供の頃、とてもショックを受けて、ずっと胸にしまっていました。大竹さんが、峠を越えて故郷を山の上から見つめて、帰ってこられた事に安堵し亡くなるシーンは、忘れられません。
ああ野麦峠、冬の山道は険しく寒く寂しい悲し過ぎました。
あゝ野麦峠の著者の取材メモでは「病室で30日寝ていた。」だから会社はおみねさんを30日のあいだ医者に診せ食事を与ているのだ。
大滝しのぶさん若っ(笑)
私は友と一緒になれたなら、死は選択しないです!両親兄弟心配しているから、私が!
これだけ時代が進んでも、野麦峠に近い現実は今でも存在する。
18の時学校あがって、川崎市の某電気会社入って、1年近く経つてから会社の彼女ら2〜3人連れて渋谷駅前の映画🎦館に見に行った記憶ありますこの映画🎦見てた彼女達泣いてましたねぇ😭自分はジィ〜ト映画🎦見てましたねぇ、懐かしいぜよ👀👍💯
セクハラ、パワハラ当たり前。
セ・パ両リーグ制覇の暗黒ブラック工場。
ついでに、労災という概念も無し。
たぶん、流行りの漫画のあの兄妹のモデルか?