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0:00 導入
1:02 ネタバレなし感想
1:06 横浜流星について
3:13 多部未華子について
3:50 ネタバレあり感想
4:53 ロリコンだったのかどうか
10:27 文の抱える問題について
12:58 ラストシーンについて
14:46 亮について
17:17 スタッフT感想
18:17 松坂桃李の体型
19:36 文が脱ぐシーンについて
24:55 文と母の関係
30:27 竹内宣伝Pの疑問
36:59 白鳥玉季・増田光桜
38:08 柄本明について
41:51 興行収入について
#流浪の月 #レビュー #松坂桃李 #広瀬すず #横浜流星 #多部未華子
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数々のヒット作を世に送りこんできた現役映画プロデューサー・酒匂暢彦が、新作旧作を問わず映画及び映画業界の表側裏側を語る映画チャンネルです。
映画をただ鑑賞するだけでなく、監督の制作意図や演出方法、俳優の演技などのクリエイティブ面へ興味関心のある人に対する情報をお届けします。
ナビゲーター:酒匂暢彦<株式会社CHANCE iN 代表取締役>
1984年、日本ビクター株式会社(JVC)入社。1997年、株式会社クロックワークスを設立し、同社代表取締役に就任。 同社で数多くの映画を配給し、02年『少林サッカー』では28億円の興収を記録、09年『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破』では興収40億円の成績を上げる。2010年、株式会社 チャンス イン を設立。他の主な配給作品は『CUBE』(98)『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)『マッハ!』(04)『スーパーサイズ・ミー』(04)『THE JUON/呪怨』(05)『運命じゃない人』(05)『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序』(07)『ヒトラーの贋札』(08)『アフタースクール』(08)『チェイサー』(09)『ファッションが教えてくれること』(09)近年のプロデュース作品は、『窮鼠はチーズの夢をみる』(20)
<ゲスト:映画宣伝プロデューサー竹内 伸治>
石油会社を経て、1988年4月に株式会社シネマテン入社、同年9月株式会社アスミックに出向、翌89年6月同社に正式入社。当初はレンタルビデオ用の本編映像制作、宣伝材料制作などを担当。16mm文化映画の制作担当、レンタルビデオ営業なども追加され、アスミックの劇場配給進出に伴い、配給宣伝、配給営業、字幕制作、宣伝材料制作、買付などをすべて同時期に担当していたこともある。
16mm映画製作窓口としては大澤豊監督作『さようならカバくん』(89)などを担当。宣伝プロデューサーとして、『ツルモク独身寮』(91/今関あきよし)、『ボブ・ロバーツ』(92/ティム・ロビンス)、『キリング・ゾーイ』(94/ロジャー・エイヴァリー)、『ユージュアル・サスペクツ』(95/ブライアン・シンガー)、『ファーゴ』(96/ジョエル・コーエン)、『八日目』(96/ジャコ・ヴァン・ドルマル)、『日蔭のふたり』(96/マイケル・ウィンターボトム)、『スクリーム』(96/ウェス・クレイヴン)、『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(96/ウディ・アレン)、『スリング・ブレイド』(96/ビリー・ボブ・ソーントン)などを担当。
98年4月に株式会社アスミックとエース ピクチャーズ株式会社が合併、アスミック・エース エンタテインメント株式会社となる。映画宣伝グループ グループリーダー、宣伝部長、取締役宣伝部長、執行役員宣伝担当、常務執行役員映画宣伝グループ/映画製作グループ/大阪営業所担当などを歴任、09年12月31日付で同社を退社。最後の役職はエグゼクティブプロデューサー。
アスミック・エースでの宣伝プロデュース作品に『ビッグ・リボウスキ』(98/ジョエル・コーエン)、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)、『雨あがる』(99/小泉堯史)、『ショコラ』(00/ラッセ・ハルストレム)、『ターン』(00/平山秀幸)などがあり、最後の宣伝プロデュース作品は外国映画『めぐりあう時間たち』(02/スティーヴン・ダルドリー)、日本映画『ジョゼと虎と魚たち』(03/犬童一心)。宣伝監修、宣伝統括としては、『阿弥陀堂だより』(02/小泉堯史)、『ホテル ビーナス』(04/タカハタ秀太)、『間宮兄弟』(06/森田芳光)、『アーサーとミニモイの不思議な国』(07/リュック・ベッソン)、『ソウ』シリーズ(04-11)などを担当。04年からはドリームワークス作品配給に従事、05年から日本公開が始まり、『シャーク・テイル』(04/ビボ・バージェロン、ヴィッキー・ジェンスン、ロブ・レターマン)、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(05/ブラッド・シルヴァーストーン)、『マダガスカル』(05/エリック・ダーネル、トム・マクグラス)、『ミュンヘン』(06/スティーヴン・スピルバーグ)、『森のリトル・ギャング』(06/ティム・ジョンスン、ケアリィ・カークパトリック)などの統括を手掛ける。08年にはプロデューサーとして、森田芳光監督作品『わたし出すわ』を初めて担当、翌09年に完成し公開した。
アスミック・エース退社後の10年、11年はフリーで、アスミック・エース配給『ソウ ザ・ファイナル3D』(11/ケヴィン・グルタート)、セテラ・インターナショナル配給『あしたのパスタはアルデンテ』(11/フェルザン・オズペテク)の宣伝監修を担当。
11年10月1日付で、株式会社スターサンズ執行役員映画事業担当に就任。ヴェルナー・ヘルツォーク監督作『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』(10)、パオロ・ソレンティーノ監督作『きっと ここが帰る場所』(11)、ヤン・ヨンヒ監督作『かぞくのくに』(12)の宣伝プロデュースを担当し、翌12年同社を退社。13年1月劇場公開した、パオロ&・ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟監督作『塀の中のジュリアス・シーザー』をフリーランスの宣伝プロデューサーとして担当した。
また、04年にはペンネームで夕刊フジの映画コラム「スクリーンの裏側から愛をこめて」を4月から9月までの半年間に亘って連載、映画コメンテーターとしてBSフジ「映画大王」(00-01)、TX「ミューズの晩餐」(10-11)などに出演している。
肝心な台詞をうろ覚えのまま、あーだこーだ言わんでくれ…
文が告白した後の更紗が文の表情を見つめるシーンは絶対必要だった絵だと思いますよ。あのカットがなければ横になって手を繋ぐシーンには繋がらないと思いました
闇(秘密)を抱える役を演じさせたら、松坂桃李さんは鉄板ですね。あの眼は、演技なのか? 何でこんな凄い俳優さんがローン組めないのだろうw
おい、柄本明「さん」だろ?業界人なら気をつけろよ
なんでこんなに意見合わないのに、二人でYouTubeやってるんだろう。。。笑
お二人、仲悪いですか、、、?笑笑
左の人、すべて否定から入って話すので、聞きにくいです。
カップルはいただけないね
複雑かな?付き合う前の男女も恥ずかしいよ
多部未華子さんも無駄遣いですが、水川あさみさんもです
・「もう、フィンランドの山奥でひっそりと暮らそう!もう誰も二人を構わないでくれ…」と、二人が幸せに暮らせる未来を切に願いました。
・次回の日本アカデミー賞は各キャストが総ナメですかね!
(主演男優賞の対抗馬は今の所阿部サダヲですかね)
「その状況でからだを求めるか!?」と嫌悪感しか感じない横浜流星の演技は素晴らしかったです。
・スクリーンから3列目だったので、文の身体的特徴から諸々理解出来ましたが、確かにアレだと母親の「成長しないって、私のせい?」の台詞もあって各々理解の差が生まれそうですね。
暗闇でぼやかすんじゃなく、無性器症?としてハッキリ映せば良かったのかと。(原作には服を脱ぐ描写は無いそうです。)
・確かに『柄本明の無駄使い』でしたね笑
更紗が「父がブランデーを飲むときに使っていたのに似ている」に対して「お父さんの物かもね、物は持ち主の元に帰るもんさ。」が『更紗と文は再会する運命』の暗喩だと思います。
というか、『父のグラス』ではなくて『文の家でアイスを食べたグラス』だったんでしょうか?
原作が大賞受賞作品なだけにおふたりとも未読なままでの感想が少し残念です。原作を読まれた後に鑑賞されていればどのような感想を持たれたのか聞きたかったです。
見ていて辛い映画でした。竹内さんの気持ち、よくわかります。
以下、ネタバレありです。
映画と原作を比較すると・・・
映画の全般を支配する重い空気にたいし、原作は軽やかな語り口のせいもあり、内容に反して読書感は意外に明るいですね。
また、映画では原作冒頭のエピソード(両親の愛情を浴びて更紗がとてもハッピーな時期)が省かれています。これにより、更紗の性格に違いが出ていますね。
映画では、文、亮と同様に心の奥に闇を抱えているように見えますが、原作では、トラウマこそあるものの、基本的にはポジティブでケセラセラな性格です。
この違いが、李相日監督カラーなんでしょうね。
気になった点・・・
現在と過去のシーンが頻繁に交代しますが、見慣れるまでは混乱しました。
一つには文の風貌が変わっていないためです。
(現在と過去の文(松坂桃李)には15年の年齢差を見せて欲しかったですね)
もう一つは、幼少期の更紗役の白鳥玉季ちゃんが素晴らしすぎで、広瀬すず本人と見間違うほどだったためです。10才役で、実年齢12才、でもずっと大人びて、小型広瀬すずでした。(本作は、ダブル主演ではなくトリプル主演では?)
少年(5才上の従兄)に身体を触られるのが嫌で家出した少女・更紗が、見知らぬ男性についていき、何日も同じ屋根の下で暮らすというのは、普通に考えると奇妙です。
あの時点で、更紗が受け入れることが出来たのは、女性かそれでなければ男の匂いのしない男性のはず。つまり、文は中性的な人物ということを表しています。
(文(ふみ)という名(男性・女性どちらも可)もそれを示唆しています)
例のワンシーンで仄めかされ、原作の説明からも推測できるように、文は先天的に性的能力がないという障害を抱えています(男性ホルモン分泌異常で二次性徴が起きていない。つまり精通も経験してない)。
短小コンプレックス等で大人の女性を避けて、性欲の対象が幼女に向かうという(世間でいうところの)ロリコンではありません。彼は健常者の男性が持つ男性特有の性欲のない人物ですね。
(「自分はロリコン」などと自虐めいて言っているのは、ミスリードになっている)
ただし、「家(うち)に来ない?」と誘ったことから分かるように、女性に対し性欲抜きの愛情や親密感を求める心はあります。
(更紗はそれを感じ取れるが、恋人の谷あゆみには理解されなかった)
更紗と文の関係は、性生活のなくなった仲の良い熟年夫婦のようなものだと考えれば、理解できないものではないと思えますね。
ですので、文の視覚上の人物造形に少し難がありますね。
下半身の表現は適切ですが、骨格は健常者の男性のものであり、喉ぼとけもあって声は変声期を経験した男性のものです。(松坂桃李くんなので当然ですけど・・・)。
監督はその辺のことは承知で、作品の欠点となることも許容した上で、桃李くんの役者としての魅力を優先したのだと推察します。
ただ、そのために、文が通常のロリコンだという誤解を招きやすい結果になっているとは思います。
ベストなキャスティングということになると、宝塚の男役のような女優さんでしょうね。
原作未読で、舞台挨拶付きで観賞しました。
昭和世代の性問題に関する知識は、親の本棚にあった現代用語の基礎知識で得る程度で、
ロリコンは載っていたので知識ありますが、終盤で触れる主人公の病気に対しては、
正確には判らないけど何らかの事があるのね程度の理解でした。
今年の劇場観賞99作目にして、この作品は心に刺さる部門で2位です。
第1位はブルーバイユーで、この作品と共通しているのは子役の演技かな。
エンディングで、今後MO一緒に同じ時間を過ごすという点で、純愛系ハッピーエンドと捉えました。
この動画の時間が長い=語り合う内容が多いという点で話題性は十分にあると思いますし、何らか受賞するんだろうなーーと思いました。
ロリコン問題については、文は「先天的に子供しか愛せない性癖」ではなく、後天的に「自身のコンプレックスを受け入れてくれるのは性にまだ目覚めていない子供かもしれない」という心理から子供に興味を持ったのかなと思いました。だから結果的にはコンプレックスを受け入れてくれる(くれそうな)大人の更紗は愛せる。
ケチャップを拭うシーンは普通なら「ごめん」なんて言わないので、文は更紗を性的に意識していたと捉えられるので、世間一般にロリコンであることは間違いないと思います。
ただ「子供だから好きになる」ではなく「好きになった人が子供のこともある」のが文なのかなと。
亮の今までの彼女は亮が危ない人だと気付いたら黙ってそっと離れていったのではないでしょうか。
でも更紗は抵抗してきた上に、自分が最低だと思っていた男と幸せになろうとしている、自分といた時より幸せそうに見えて壊れてしまったんだと思います。
文とさらさが再会する場面では突然無音になったり、、文と幼少期のさらさが食事をする場面では急に異様にも感じるハッピーな音楽が流れたりと、音響音楽にも素晴らしさを感じてました。
それと、喫茶店に誘ったり、子供を預けて沖縄に出かけたりと、物語における重要なきっかけを作るのは趣里さん演じる安西さんでして、、😂
文と幼少期のさらさが部屋の布団でテレビを見てる場面では、さらさは手作りのこたつの用な物の中でテレビを楽しそうに見てたり、狭い風呂で水遊びを楽しんでたりと、文の部屋よりもまたそれよりも狭い空間を作っていて、あぁこれはさらさが外の空間へ出てしまうと良からぬ事が起きてしまう事への暗示なのかなと思って見ていました、。
また、文は事あるごとにさらさよりも低い位置に座ったりしてるのも、なにか意味があるのかなと思って見てました🤔常に明るく自由なさらさが文にとって太陽みたいな存在だったとか、自分の心持ちを上向きにしてくれた存在みたいな、、
観方が浅いなぁ。
捉え方は人それぞれですけど。
ちょっと残念。
文は諦念の人という表現は的をえてると思いますが、人はなかなか諦めきれないもの、だからこその苦悩だと思いました
左の話に割って入る右の勇気を見ている
これからもがんばって
文の病気を説明的に描写する必要はないと思いますが、裸になるシーンをもう少し早くに持ってくればより多くの観客に分かりやすかったのではないでしょうか。
仰る通り、DV男や少女期に性的虐待を受けた女性のトラウマに関しては我々も予備知識がありますが、文の抱える病についてはアンタッチャブルに触れられたような居心地の悪さはありました。しかし、何がしかの性的コンプレックスを抱えて生きる男性は世の中に相当多く存在すると思います。そういう人にとっては、一筋の光にもなりうる作品だったのではないでしょうか。
それにしても、広瀬すずの美しさは救いです。松坂桃李や横浜流星の体当たりの演技により多くの注目が行くでしょうが、広瀬の菩薩のような存在感がこの暗い物語を最後まで見れる説得力のある作品に仕立て上げています。ハッピーエンドと捉えられる人が一定数いると思えるのは、文が母に代わる菩薩に出会えたからです。他に考えられない最高のキャスティングだったと思います。
映像の美しさと松坂桃李さんの儚く中性的で独特の存在感で流浪の月の世界に浸り2時間半があっという間で余韻が凄かったです。松坂さんの感想に多く見られますが、言葉がなくても瞳や眼差し、僅かな表情の変化で心情が伝わる静の演技が素晴らしく心揺さぶられました。
原作を読まずに観た私も友人達も、そこまでわかりにくいと感じていないので驚きました。原作を読んだ人は佇まいも雰囲気もイメージ通りで文がいる!とみんな思ったそうです。初めはロリコン?とはっきりしないで観始めたけど、病気で成長しないことがわかりロリコンじゃなさそうと思い、多部さんとのラストシーンの演技で真実を隠してることがわかりロリコンじゃないと思いました。
そして裸になるシーンで、成長していない子供のままのが映っていたので、繋がれないというのがよくわかりました。
世間に理解はされなくても希望があるラストだったのでよかったと思います。過剰とか丁寧すぎるとか全く感じないし、みんな引きこまれて長く感じなかったと言っていたので、その感想は驚きました。4時間あったものを2時間半にしたそうなので、未公開シーンの一部でもBlu-rayの特典に入れてほしいとみんな言ってます。
あと、松坂さんの減量のことですが、原作の文、長身で内臓が入ってないような薄い身体、になりきるために筋肉もおとす減量をしました。文の病気の人は、長身で手足が長く痩せてる人が多いと聞いて松坂さんはやっぱりピッタリだったとも感じました。
李監督が選んだ配役は、文は桃李くんしか思い浮かばなかった、流星くんは原作のファンと聞いて会ってみたら亮をやらせたいと思ったと言っていて、すずちゃん、多部さん、オーディションの子役の子も含めて皆さん役にハマって流石でした。
試写会、公開初日に観たけど、まだまだ観に行くつもりです!
お二人のトークで、自分が引っかかってた部分が腹落ちしました。
映画の中で意図的に語られなかった演出で、こうして議論を起こることも作り手の想定の範囲なのかもと。初週末のソフトな興収に対して、平日の数字がいいのは、賛否両論含む確かな作品評価だと思いました。
タイトルでもある月の意味についてもお二人の解釈を聞きたいです。
原作を読んでいるから分かることが多く、読まずに観たらどうなのかと思っていました。やっぱりわからないことが多いのですね。原作では、文は、第二次性徴がないと書かれていました。ラスト、私は、文字で読んでいましたが理解できてなくて、こういうことかと思いました、亮の母は、男の人と家を出ていて、自分を捨てた母を恨んで、愛情に飢えて、ああなってしまっのかと思われます。柄本明さんとのシーン、もっとあったのがカットされたのかなと思います。更紗のしあわせだった頃が描かれてないのが少し残念です。自由な更紗のはじまり。明るいラストと感じています。2人いっしょにいて、もしもまた今回のように噂になったら、違う場所に行けばいいという、開き直ったような強さを感じました。長々すみません。いい年した横浜流星くんのファンで、2年前、流星くんが最近読んでよかった本として紹介していて出会いました。母目線なので、褒めていただき、うれしく思います。ありがとうございます。
舞台挨拶中継が目当てで初日に観ましたが、私にとっては期待外れで消化不良なダメダメ映画でした。
終始疑問だらけで、腑に落ちない場面が多過ぎる、不快でリアリティ欠如の妄想ファンタジー作品。
一般レビューも「何だかよく分からないけれど、俳優の演技が良かったw」みたいなものが多いw
監督が原作を改悪した脚本もダメでしたが、原作自体がB級エンタメなので題材選びも良くなかったのかも。
たとえ世界全体が自分の敵に回ったとしても、自分のことを本当にわかってくれる人が一人でもいれば、自分は生きていける。これがメッセージだったのではないかと。
この映画の役者は身も心もすべてさらけ出さないと演じられない、そういう過酷さがひしひしと伝わるようでした。
竹内さんが繰り返していたとおり、後半のネチッこさは日本人の感覚からはついて行きづらいほどでしたが、その理由の一つは撮影の環境にもあるのではないでしょうか。この映画の撮影ではほとんどセットを使わず、屋内の撮影も(松本市に)実在する建物の中で行われています。被写体との距離や構図に制約が多くなるので、結果として密度の濃いシーンが多くなったのではないか?ただセットに頼らない分、リアルさは増していると思います。
また、クライマックスからエンディングにかけて、確かにスローでしつこく感じる方もいたでしょうが、私にとっては心地よい時間でした。
いつも楽しく観ています。
竹内さんのコメントは鋭くも、ちょっと違うのでは?と思うことあるのですが今作はほとんど共感でした。
タンクトップむちむちの妹さんのセリフ一発で兄の性癖がわかってしまったスピード感に比べ警察の紋切り型のシーンはしつこく感じました。あと多部未華子をもっと観たかった、オーケストラうるさ過ぎ。でも監督はこう作りたかったのだから仕方ないと思います。
京都シネマで『気狂いピエロ』を鑑賞した🏠️🚗💨に、音声だけで収録を聴きました、最後まで。
で、映画ファンなら見逃せない力作でしたが、個人的には、「お気に入り」にはならず、もう一度観たい、という気持ちにはならないという作品でした。
それにしても、『シン・ウルトラマン』とはうって変わって、竹内さんのボルテージが高かったなぁ、というのが印象に。
コメントも既に多く、賛否両論で喧々諤々となるタイプの作品かと。その場合でも、同じ「シネマサロン」仲間として、相手を尊重する姿勢は、と自戒を込めて、お節介な一言を(^.^)(-.-)(__)
この話し合い好きです。
簡単に話せるような作品じゃないと思います…
ただあの2人が幸せになれると祈りのある
ラストと思います。
私は大切にしたい作品です。
映画館のスクリーンによっては見えづらさはあったかと思いますが、文は小陰茎症に見えました。
もちろんロリコンだったかも知れませんが、それよりももっと可哀想な状態なのだからと解釈します。
アンティーク店の店主は彼でなくても良かったと思いますが、文が使っていたグラスを購入するという流れで、不必要なシーンには見えませんでした。
あと、撮影の素晴らしさに言及されてなかったですが、意図的過ぎるという見解なのでしょうか。
私は映像にとっても一級品を観た、という印象なのですが、やはり映画は観る人によって様々で面白いなということなんでしょうね。
私にとっては今年一番のフェイバリットな映画になりました。
「グラスは売ったのかプレゼントしたのか?」、「アンティークショップはどうなったのか?」柄本明さんのくだりが気になって、一時的に本筋が入ってきませんでした。
他のレビューではこの辺はあまり取り上げられてないので、気持ちを代弁して頂いて嬉しかったです。
また、自分的には酒匂さんと同じくハッピーエンドであってほしい思いながら映画館を出ました。
あと、ラスト30分に対する竹内さんの納得いかなさはちょっとわからなかったです。
もう少し分かりやすく言語化してもらったらありがたいです。
これは良かったです。
終盤まで抑えた表現で、重苦しい情趣を、美しく撮っていて、この手の映画大好きなのです。
文はペドフィルなのかどうか、それ次第で描かれているものが随分変わるなと思いながら終盤まで進み、
谷あゆみ(多部未華子)に、大人「でも」できるのか試したかったと言うに至って、やはりペドフィルなのか、、、、
と思いきや、あのカミングアウトだったのでガツンと来ました。
文もまたセックスを無理やり求められない恋愛を求めていたのだな、それで幼い更紗に惹かれたのだなと思いました。
あと、文の母親がトランスジェンダーのように匂わせていたと思ったのですが考えすぎでしょうか。
俳優陣は総じて良かったですねえ。
(榎本明は原作でなにかあるのかしれませんが、あそこは失敗してましたね)
なんと言っても、僕は白鳥玉季さん!
始まってしばらくして聞いたことある声だと思ったら、
今年1月コンサートで武満徹の「系図」のナレーターとして聞いていました。
大人と子供の境目の危うい雰囲気、深みのある声と台詞回しが最高でした。
今後も楽しみです。
私は文が裸になったシーンの意味が全くわかりませんでした。
全く説明が無かったですからね。
だから鑑賞後感は、?でした。まぁとりあえずハッピーエンドかな、てな感じで。
その時は、母親にDVを受けてその折檻の跡を見せたのかなと考えました。
後で解説記事を見て真実がわかりましたけど、あの表現じゃわかった人はむしろ少ないのでは。
原作では多部未華子演じる役も心の病らしく、なんか病んだ人ばかり出でくる映画でしたね。
ふみ。ではなく母親がつけた名前はあや?だったのかなと思いました。他の映画評はロリコンをありきて語ってますがロリコンじゃないよなーと思ってる身としはスッキリしました。
亮は母に捨てられた事に傷ついた その思い方は人それぞれだと思うので受入れました。亮の壊れ方がわからないとのお話ですが、更紗の眼 拒絶している事は感じてしまうのではないかなと私は思いました。愛されていると思い込みたい人にとって 愛されていないと見せつけられるのは 壊れる程傷つく事なのかもしれないと感じました。自傷行為は更紗への執着の開放 弱い亮が少し強くなるための痛みに思えました。
亮のバックボーンは、少しですが、描かれてましたよ。亮の実家に行った時、更紗に話しかけてきた子が、父親が原因で母親が出ていき捨てられたと、そのトラウマから彼女に対する執着が生まれたんじゃないか。だから、帰る場所のない可哀想な子ばかりと付き合って、それなら自分の前から居なくならないだろうと。で、思い通りにならないと、感情的に暴力を奮ってしまう、前の彼女もそうだった…そう言ってましたよ。
映画を観てよくわからなかった所・納得出来ない所があったのでこの動画ですごく納得できました。
突然文が脱ぎ出した時は、え?なんだ?と思った一人ですが、
今回の解説である通りの理由を知りそういう事か言いたかったのかと理解しました。
ただ自分もそれがわかっても別の表現があったのではと思いました。
映画全体を通して表現の仕方が過剰だったような、物語を殺してまで『画』を優先させた印象を受けました。
あとこれは監督をはじめ韓国スタッフが関わっている映画のため仕方がないと思うのですが、
出てくる女性の行動や服装に『韓国映画に出てくる女性感』を感じてイマイチのれませんでした。
更紗が文と多部未華子の後を家までついていく所に異常性を感じてしまったし、
内田也哉子さんの化粧や、亮君の妹の格好などなど。
批判ばかりですいません。ただ演技は皆さん素晴らしかったし2時間30分飽きずに観させた見応えある映画で、見てよかったと思います。
自分は白鳥玉季さんの肝の座った演技に賞をあげたいです。
竹内さんが過剰、丁寧すぎという感想に自分は?って感じです。さらさと文が共依存という関係度が深まっていくのが
ありありと分かったので私にはいい感じでした、この二人は文は不能、さらさは性的嫌悪でお互い依存関係なので
自分としては悪い意味でも心地は良く見れていました、ただし、私の意図していない部分での過剰という感想であれば
竹内さんのおっしゃる通りかもしれません。
映画内世界の住人たちはこの二人気持ち悪い・・・洗脳?だろうとは思いますが。そして観客にもその異質な感覚を
味併せているのだと思います。
私の文の解釈は竹内さんと同様でふたなり(性的には男に分類)です。ただ、社会的に性的な描かれ方として半陰陽って
40代以下だと雑学にたけている、あるいは医学的にわかる人でないと、普通に酒匂さん言うとおりにマイクロペニスと
考えると思います(正直それさえ分からない人もいると・・・)ちなみにふたなりと思った理由はタイトルに「月」と
ある部分ですね。竹内さんも半陰陽と浮かんだのはそのあたりでは無いでしょうか?
広瀬すず、横浜流星ともにスバラしかったと思います。リ・サンイルは『悪人』以降『許されざる者』『怒り』など、
なんだかなぁ・・・でしたが本作ではラストの文の解釈論は別においてカムバックした!と思いました。
最後にちょっと反論ですが、警察の文逮捕劇は自分は???です、もちろんロリコンというのを話として引っ張るので
そういう演出なのは分からないでもないですが・・・彼が10歳のさらさを誘拐した時点でセックスチェックで不能なり
判断されていると思いますので警察間での重要犯罪は共有されているのでは?であって、あくまでネグレクトされた
子供の確保だけでも警察は動けると思うのでちょっと現実と乖離していないか?と思いました。
司法とて誘拐とか監禁とかその他法律で動かすことが出来るのか?でした。
俳優さん達の迫真の演技素晴らしかったです
個人的には さらさちゃん役の白鳥さん 魅力的でしたし 最初すずちゃんに似てないのに どんどんすずちゃんに見えてきてびっくりしました。
友人と見たのですが、私との温度差があったので、お二人の盛り上がりに満たされました🙇
横浜流星ファンですが、こんな役をやってくれるのをずっと待ってました。ぜんぜん嫌ではありません。同じような役ではつまらないですよね。役者さんを応援してる人って「こんな役はやって欲しくない」って思う人っているのでしょうか?好きな役者さんにはどんどん新しい物語の世界で活躍して欲しいと思うのが一般的なファンの考えだと思いますよ。
この映画は死刑にいたる病より、ショックな作品でした。
事実を大きく反転させる世論の暴力性が切なくて、ラストシーンで流浪することでこの二人が救われるのかなと。
横浜流星さんと岡田将生さんはイケメンなのに、バットボーイに暴走してくれると作品に深味がでましすよ。
現時点では傑作です。
もう一回見てください。亮の事情も映画の中にちゃんと出てきます。
この紹介動画みて良かったです。最後のシーンの真意を分かっていませんでした。これで腑に落ちました。ただフミはロリコンとはそういう描写が無かったのでそうは思っておらず、性的嗜好が強くない中性的な人だとは思っていて、映画全体気に入っていたのですが、真意を知った今、解釈が変わりますね。パンフレットに加え、文庫本も買ってしまったので改めてじっくり読んでみようかと思います。
凪良ゆうさんでは『滅びの前のシャングリラ』の方がポップな作品らしい。そちらも映画化されるのかな。
余韻のわからない人たち
演技陣がとても素晴らしいというコメントに強く同意します。
特に白鳥玉季さんは素晴らしかったです。彼女の演技は初めて見たのですが、こんなにも才能溢れる子役がいたのかと驚きました。広瀬すず演じる更紗の幼少期という役どころにすっぽりと入るだけでなく、細かな表情の演技には貫禄すら感じました。
横浜流星さんには自らのイケメン俳優としてのキラキラとしたイメージを犠牲にして素晴らしい演技を見せてもらいました。彼目当てに映画館にきた中高生に彼がどのように映ったのかとても気になりました。
公開早々、妻のリクエストがあり、予定外で鑑賞を。タイトルに「月は」かあるのでは、昨日観た「月は上りぬ」の方が、僕は断然お気に入りだし、軍配を😏
流浪の月
月は太陽に照らされて初めて自己の存在を得る。
早速 映画を観ました。映画からは想像は出来ても理解は深まらないとの個人的なもどかしさから答えを求めて原作の文庫本も読了しました。
先ずはこのタイトルですが、主人公たちの置かれた環境や未来を見据えての「流浪」と互いの関係性の暗喩の「月」でしょうか。この月は地球との月なのか、太陽との月なのか、と…
また順番に沿って過去パートから時系列で撮影は行われたとのエピソードは知りましたが、編集後の交互展開の構成にはやられました。時系列の構成を変えた結果ヒットした傑作としての「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が有名ですが、本作は時系列の方が良かったんじゃないかと勝手に想像していて、この変更こそが李監督の手腕であり真骨頂でしょうか。広瀬すずさんとのタッグ作品の「怒り」でも三つのエピソードの重なり感が複合的にあって似た面も感じました。特に最後の方の更紗の唇に拡がってたケチャップを文が拭うシーンで、それまでの展開から最後に敢えて持って来た意図は難しく思っています。つまりやはりロリコンだったと最後に分からせる為でしょうか。
また「レオン」を意識しているのではとも思え、少女と大人の殺し屋で偏執もしている二人のコンビや、有名なナタリー・ポートマンのドアを開けてもらえるまでの葛藤のシーン風が随所にあってその彷彿感が感じられました。面白いのは「レオン」では決して「ロリコン」だという視点が生じていないことです。まあホテルの支配人に匂わせるシーンはありますが…
またこちらの過去作の「空白」編からお二人の松坂桃李評を視聴しましたが、いろいろな役へのチャレンジングな姿勢は分かりますが、本作でのデニーロ・アプローチばりの肉体改造や、多くの同僚が断っただろう「新聞記者」への出演など明らかに常軌を逸していますね。まあだからこその反響の大きさでしょうか。
松坂桃李さんの新しい出世作になること間違いなしですよと断言しちゃいます。(笑)
御チャンネルの本編を拝見する前に率直な感想を先ずは書いてみました。これから御三方の解説や感想を聞いてから改めてもう一度劇場へ観に行きたいぐらいです。ライブではなかなか観れない環境下だけに望んでいたこんなやり取りは本当に楽しいです。いつもありがとうございます。