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#映画国宝
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@tutti_eiga
市川崑監督の金田一耕助シリーズ
獄門島で草笛光子さんが
娘道成寺を演じていますが
草笛光子さん見事でした。
とにかく日本人なら観なさい!!
糖尿病のインパクトが強すぎて映画見た日に夢で糖尿病で歯が全部抜ける悪夢をみた 泣😂
大変失礼ですが、本当に原作読みました?目を皿の様にして、映画を観ました?ちゃんと台詞を聞きました?Aiがまとめたコメントとしか思えません.女子にモテるための薄っぺらいコメントと感じましたよ。
吉沢亮のお顔はこの映画の為にあったんだなぁ、と思いました。切れ長の美しい目の形、背が高すぎずガタイの良すぎない体、全てが喜久雄の為だったのかと思ってしまった。
最後の鷺娘のシーン、何故花江(春江)が本妻みたいな顔して座っているんだ???とは思ってしまった。そこはあきこじゃないの?花江も居てもいいけどあきこはいるべきでは?
喜久雄が堕落した時期に浮浪者?に絡まれるシーンがとても印象強く残りました。3人相手に勝てるはずもなく、かつての花形のかけらもないようなシーンで、また大事な顔を蹴られるシーンはとても心をえぐられました。
自分の商売道具を勝手に思って触られるのを見た時、感情が揺さぶられすぎてとても言い表せないような気持ちになりました。
そしてやけ酒をしながら歌舞伎を踊るようなシーンはとても儚く感じました。
そこが記憶に残りましたねーー🤨
補足すると、喜久雄の夢見た言葉に表せない美しい景色とは『見るもの』ではなく、『体現するものだった』と考えます。
ラスト、光に包まれようやく喜久夫が目指していた境地を体現させ、真の国宝になったんだと思いました。
そこを体現する上で、唯一血のつながりがある、我が娘より、血のつながりを否定され、それでも思わず拍手をしていたという言葉が不可欠でした。
血が解放された、究極の芸を確信できた瞬間です。
春江が俊介と共に姿を消したあの夜。
それは、ただの駆け落ちではありませんでした。
ましてや、喜久雄を裏切った――そんな単純な話でもありません。
春江にとって、喜久雄は特別な存在でした。
彼のために小屋を建て、ペルシャ絨毯を買い、一番の贔屓としてずっと支えてきた。
けれど、それほどに心を込めて支え続けたからこそ、いつしかこう思ってしまっていたのです。
「私はもう、そばにいる資格がないのではないか」と。
その後、喜久雄は、代役を務めた『曽根崎心中』で圧倒的な演技を見せ、歌舞伎の頂点へと駆け上がっていきました。
そんな彼の姿に、春江は誇らしさと同時に、取り残されるような寂しさを感じていたのかもしれません。
「一番の贔屓でい続ける」――そう告げたあの日の朝、春江は声を押し殺して泣きました。
喜久雄の成功を心から祈りながらも、その眩しさに、自分が近づけなくなっていく。
歌舞伎の中心とつながる自分が、なぜこんなにも「おこがましい」のか。
本心では逃げ出したいのに、離れる理由も見つからない。
そんな矛盾の中で、春江は少しずつ、心の居場所を失っていったのです。
そして迎えた舞台の日。
俊介は、喜久雄の演技を前に動揺し、舞台を最後まで見届けることができませんでした。
逃げるように席を立ち出ていく俊介。
春江は近づいて、そっと声をかけます。
「俊ちゃん」
俊介は振り返り、「俺は逃げるんちゃう」と強がって見せます。
けれど春江には、それが嘘だとすぐにわかりました。
だからこそ、彼女は優しく、でも深く頷いて言います。
「わかっとるよ」
この一言は、俊介の嘘に対してではありません。
嘘をついてまで、その場を立ち去らねばならなかった俊介の「弱さ」と「心の揺れ」に対する共鳴だったのです。
俊介は、「逃げたくない」と自分に言い聞かせていました。
でも本当は、逃げたい。でも逃げたと認めたくない。
そんな気持ちが痛いほど伝わってきたから、春江は「わかるよ」と伝えたのです。
そして、ふと思ってしまったのです。
「今の俊介は、私自身の姿だ」と。
血に裏切られ、芸に裏切られ、居場所を失い、それでも虚勢を張ってその場に立ち続ける――
そんな彼の姿は、まさに春江自身の姿でした。
だからこそ、春江は俊介と共に去る決意をします。
俊介を選んだのではありません。
俊介を通して、自分の心を感じ取ることができました。
そしてようやく、思えたのです。
「嘘をついてもいい。逃げてもいいんだ。」と。
喜久雄は、春江の祈りの先で、遥かな高見へと至っていました。
春江の存在がもう不要になるほどに、輝いていたのです。
だからこそ、これは裏切りではありません。
むしろ、自分を赦し、解き放つための旅立ちでした。
そして、それをそっと背中から後押ししてくれたのが、俊介の「弱さ」だったのです。
一緒に復讐しに行った男の子はどうなったのでしょうか??「しくじった 」と言っていたので亡くなったのか、、、?
鐘を焼いたと聞いて清姫を思い出した
海の外でも楽しまれて欲しい映画
徳次生きてたんや嬉しい
春江に関しては少し解釈が違った!
春江はプロポーズを断った時、「喜久雄の一番のご贔屓になって、特等席で見る」って言って、それを俊介の妻と言う、歌舞伎の大御所の親族として支える事が出来る立場になってそれを叶えてる。
最後の芸のシーンで、幕が開いた一瞬に花江の笑みが映るカットがあって、そこも含めてるのかなって思ったら鳥肌が凄かったです。
糖尿Ⅰ型と2型の説明が逆ですよ。生活習慣が原因でなるのは2型の方。
「めがた」って…「おんながた」「おやま」ですよ。歌舞伎を見たことがない方ですか?
めがた?ありえない…
前日、歌舞伎座の7月初演を観て興奮冷めやらぬまま映画鑑賞。吉沢さん、横浜さん、天晴です!AM9時の会で満席!国宝になった時のインタビュアーが決して若造ではないのに「順風満帆で~」と言ったところは突っ込みたかった。
13:36 の万菊さんのセリフって喜久雄に向けたセリフだと思ったんだけど
横浜流星氏『国宝』のときは名家育ちのおにいさんだったのに『べらぼう』で見たら叩き上げの凛々しい顔してるのすごい3時間という超大作ながら時間を感じなかったのはストーリー性やカメラワークももちろんなんだけど、キャスト陣がみんな絵になるところでもある。
主演が吉沢亮でさらに横浜流星だったらルックスも演技力も素晴らしいからそりゃ見入っちゃう。
「国宝」を観て以来毎日狂ったように吉沢亮のことを考えている。語彙力なくなるくらいにもう、「吉沢亮…横浜流星…吉沢亮」だった。
国宝おかわりしようか別の作品を観てからにしようか悩ましい。
曽根崎心中そういうお話だったのか
始まり方どうした
昨日、観てきました。
ここ最近の映画で1番見ごたえがありました。もう一度観に行って違った視点から見たいと思います。
因みに、、、一駒→藤駒では?
わかりやすい解説ありがとうございます!幼馴染のこときになってたので、私もドラマ化期待します?演目について理解した上でまた観に行きます!あと、糖尿病の説明の時、1型を2型とおっしゃっています💦
日本の映画も捨てたもんじゃない😅と思い感動しました 2人の俳優さんにも感動✨良い映画てした
「死ぬる覚悟が聞きたい」の部分、思い出すだけで号泣不可避や
解説どうもありがとうございます。
女形、おやま、あるいは、おんながたと呼んで頂けると嬉しゅうございます。
日本やハリウッド映画と違って、ブルータリストのようにヨーロッパ映画の構成に近いものを感じました。スライスオブライフというか、全く描かれていない場面を鑑賞者が想像できるようになっていて、ただ時間経過も感じられるように表しているのが邦画では珍しく感じました。そのおかげで、考察もたくさんの種類がありとても面白いですね。
監督がインスパイアされた「さらばわが愛、覇王別姫」もオーバーラップしますね!
一型糖尿病だと思います😅太ってないし。
冒頭みて
本当は喜久雄は半二郎の実子(マツとの間の子)だな
なんて思ってた。
この映画本当は4時間あるって聞きました。だから所々あれ?ってなりますもんね。いつの日にかノーカットで観たいですね。
花井白虎と半次郎襲名のシーンで、半次郎は口上を言えたけど白虎が血を吐いて倒れた直後に、半次郎が『すんません、、すんません、、』と呟くシーンがとても印象的だった。
まるで血筋じゃない者に半次郎を襲名させたから口上を血を使って言えなくしたんだと思った。
半次郎も本当は自分が襲名する者じゃないと負い目を感じてたのかなと思った。
素晴らしい解説。映画見ましたが、また見たくなりました
女形を「めがた」と読んでいますがそんな読み方あるんですか?
女形ってメガタじゃなくて、オンナガタって言いません?
万菊さん人間国宝になってもあの最期なのか…と思った
それでも歌舞伎の世界に大きな影響力があるのがなんか凄かった
あれはそれこそ後継ぎがいないからなのかな?
後ろ盾の父親後継ぎの息子どちらも無い喜久雄はやっぱり万菊さんと同じ様に孤独に死んでいくのかな?
なんだかそんなところが気になりました😅
歌舞伎は日本の代表的な芸術。なのにどこか取っ付きにくく観にくい。それを人気俳優が演技する事で注目を集め見易く作られていた。ただ歌舞伎の良さがわかる気がしなかった。何をしているのか?何の為にしているのか?昔からある伝統の演目を代々絶やさない様にしているのか?まだ読み取れきれていない
芸は身を託すってやつか
小説なんだ😮
りさんいる監督ですー
よみかたー
「国宝」には、絶望のどん底や役者・人間の「業」が余すことなく描かれていました。無理矢理、安い希望など描かず、人生と対峙・対決し続けた者だけにみえる美しい景色を垣間見ました。恐ろしい映画でした。
「国宝」を観て以来毎日狂ったように吉沢亮のことを考えている。語彙力なくなるくらいにもう、「吉沢亮…横浜流星…吉沢亮」だった。
国宝おかわりしようか別の作品を観てからにしようか悩ましい。
あと、YouTubeやPodcastで映画やドラマについて
個人が自由な感想を発信できるようになったのは
素晴らしいことだけど、
いくらなんでも国語的な言葉の間違いだらけで
聞いてられないものも多い。
「ハマり役」を「型にハマった役」と言ったり
「W主演」を「ダブルキャスト」と言ってるのを
最近聴きました。
批評や紹介の言葉が速さと量偏重で
国語レベルで質が下がるのはかなり由々しい〜
流星横浜の「芸があるやないか」は涙無しでは見られない
個人的に、喜久雄がほとんど笑っていない。特に俊介といる時しか笑っていないのが後半になるにつれて強く感じるようになりました。
歌舞伎を通じて俊介と心が通っている時だけは心から笑える。まさしく「芸」以外の全てを悪魔に売り渡したかのような喜久雄の恐ろしさを感じました。
映画中寝ちゃいました…
悪魔と取引…というシーンに、ロバート・ジョンソン伝説がよぎりました。
悪魔と取引して超絶スキルを手にする代わりにとんでもないことが…あぁなるほどと。
原作の方はロック好きなのかな?
圧倒的な映像美とカメラワーク、そして舞台の上、それ以外のシーン問わず、俳優皆さんの緊張感溢れる演技に、すごい映画体験と感じました。
一方で、その悪魔と取引してからの喜久雄の正気を失ったような目、冷ややかな表情、欲望のままに夢のままに生きる姿に疑問が出て、なかなか後半観てて辛かったです💦
ただ映画館で観てよかった、その気持ちに間違いはないです!
昨日観てきました。豪華絢爛な演目と、華やかな表の世界と、運命に翻弄された人生の裏の世界、自分に無いものへの人間の嫉妬や確執…日舞を習っていた頃を懐かしく蘇り、これまでの長い人生を重ね合わせ涙がハラハラ流れていたのは…?
観てきたがそこまで凄い映画ではなかった。
名作だけど絶賛するほどじゃなかった。
普通に大谷翔平の方がもの凄い精進に精進を重ね、研鑽し極めようとしているし、不貞腐れる事もないし、悪魔と契約したとかそんなレベルの低い事を言わない。
誰かを利用したり、他人を憎んだりしない。
そんなに歌舞伎役者が凄いか?
歌舞伎はエンターテイメントとしてはオワコンだし伝統って事で凄いもののように思考停止してるだけ。
キクオが欲しがっていた血縁(遺伝)が、糖尿病という形でシュン坊に出てきてしまうところが、なんとも悲しい展開でした。
女形はおんながた、もしくはおやまと読んで欲しい。
めがたでは、巨人じゃないですか…