「海外映画考察」の人気記事ランキング
00:34 『火垂るの墓』「冒頭5秒の謎」
10:01 見逃しがちな重要なカット
14:10 クレショフ効果
19:17 なぜこんな「トラウマアニメ」を作ったのか?
24:02 なぜ高畑勲の演出意図は観客に伝わらないのか?
29:38 高畑勲は観客に悩んでほしい
31:14 『火垂るの墓』の本当のテーマとは?
(動画右上に変な文字入ってる部分は気にしないで下さい🙇♀️)
火垂るの墓、小学校の道徳の授業で前半部分だけ見せられて軽くトラウマになった記憶があります。泣きながらゲロを吐いている子も居ました…
当時はただ、戦争って怖いんだとしか感じられなかったのですが、
大人になって見返すと、また岡田先生の解説を聞くと
ただ”それだけ”の作品ではないのだと感じるようになりました。
皆さんはこの作品を見てどんなことを感じましたか?
ぜひコメントで教えてください!
当チャンネルでは、好奇心をくすぐる(と中の人が思う)動画を毎日(努力目標)投稿しています。
チャンネル登録、高評価よろしくお願いします!
岡田先生に質問、相談、お便りを送ってみたい方は以下のリンクから↓
https://x.gd/eKKwm
この動画は過去に配信した動画です。
【元動画はこちら↓】
※当チャンネルは岡田斗司夫さんの動画管理元であるガジェット通信様と正式な契約の元でMCNに加入して収益は折半し、岡田斗司夫氏黙認の元運営されております。
1.岡田斗司夫さんのYouTubeチャンネル↓
http://urx.red/Zgf8
2.岡田斗司夫さんの有料YouTube メンバーシップ↓
https://bit.ly/3lvIbYF
【YouTube 岡田斗司夫ゼミ プレミアム】30日2,390円(税込)
3.岡田斗司夫さんのドワンゴ ブロマガ会員↓
https://bit.ly/2QBcteh
【ニコ生 岡田斗司夫ゼミ プレミアム】月会費2,200円(税込)
4.岡田斗司夫さんのオタキング アーカイブ会員↓
https://bit.ly/3hHQ5fh
【岡田斗司夫アーカイブ】 30日2,160円(税込)
5.岡田斗司夫さんのAmazon Video↓
【Amazon 岡田斗司夫】レンタル500円/販売1,000円
https://www.amazon.com/v/otaking
流石だな〜
岡田さんはサイコパスもさることながら、いつも深いな。
そう言えば随所随所に違和感が有ったわね。
でもね、わかりにくいわよ。一回観ただけだとわからない。何回か観て兄弟が死んだ理由は兄のエゴだと気付く。
岡田さんの動画を観た今は戦争は関係なく現代でもあり得る視点に変わってしまった😅
映画制作から何十年も経った今、糸の切れた兄は何を見出してるのでしょうね。
08:42自爆霊は怖いわw
お母さんが亡くなった時も無表情でしたね。
現代の灰皿のシーンから現代の灰皿のシーン…いや、分かるか〜い!!
クリエイター視点のこういう解説は、ほんっと助かるわぁ
身勝手な兄貴が妹を栄養失調で殺した作品です。
ほう!そこかぁっていう視点で見れます!興味深々。
*ーなぜ火垂るなのかまとめるとー*
古語としての「火垂(ほたる)」
①「蛍」は現代では昆虫の漢字ですが、古代日本では「火垂」「螢」「蛍」などさまざまな表記がありました。
②「火垂」は “火の光が垂れるもの” という意味で、蛍の光を表した古い書き方です。
③つまり「火垂る」は「蛍る」と同じ語源を持つ言葉。
⸻
2. 戦火のイメージとの重ね合わせ
• 野坂昭如の原作小説・映画のテーマは、蛍そのものだけでなく、戦火や焼夷弾の炎に散る命をも象徴しています。
• 「火」が強調される「火垂る」という字は、
• 蛍の光
• 焼け落ちる街や炎
• 命が儚く消える様子
を二重に重ねて響かせる効果があります。
⸻
3. タイトルの文学的ニュアンス
• 「蛍の墓」だと単純に「蛍のお墓」という意味になります。
• 一方「火垂るの墓」には、
• 蛍の墓(子どもたちの短い命)
• 火に散った人々の墓(戦争犠牲者)
という 多重の象徴性 を持たせられるのです。
⸻
👉 まとめると、
『火垂るの墓』の「火垂る」は、ただの蛍ではなく 戦火と命のはかなさを重ね合わせた文学的表現 であり、作者の意図や作品テーマを強調するために「蛍」ではなく「火垂る」という表記が選ばれています。
冒頭45秒 『昭和20年9月…』
の所、テロップは昭和24年になってますよ どーしても気になって😅
スイカや雑炊の所ですが、野坂が妹の粉ミルクを喰った暗示でしょう。
BGMで泣かされるよな
戦後の大変な時代というマクロの話と清太はどう生きる(べき)かというミクロの話がごっちゃになってるから意見が分かれるんだろうなと
冒頭のお握り差し入れでも言及されてるように大変な時代ではあったけど人々に情は残ってた、だからミクロな方で解釈する方がいい派です
ただ、そうなった時いかに未熟だったかをその都度突きつけられるので見るのがしんどい映画だとも思ってます
戦争のせいに出来ないからこそ直視せざるを得ないので
内容も、投稿のタイミングも、何もかも完璧です。
大人になって、子供の頃とは違う見え方をした後に、答え合わせに来たら全く別の価値観を知らされて、何倍も面白さが増しました。
ありがとうございます!
野坂昭如の原作を読む事をお薦めします。勿論原作とこの作品は、違いますが。
初めて観た時は気味の悪い映画だと思った
蛍の死骸の山とか、雑炊食べたのも気づいた、妹を死なせたショック顔に見えなくて何考えてるのか分からない表情だと思った
小さな子が亡くなるので悲しいには悲しいけど、なんか不気味な、、、
なんで最後に現代の街が出てくるのかな?って強く印象に残ってるから覚えていない人がいるなんて信じられないな
食べてもいい。今は食べなくても明日また買える。そのお金もある。
でも、この時代はちがう。そこを履き違えてはいけない
でも守るべき存在(節子)がなくなった清太も死んでしまうの切なすぎる。
同じ見方をしてました
昔 それを口にすると「なんでそんな 穿った見方する⁉️😱」みたいな返しされて 二度と口にしなかった
勝手ながら 共感でき 嬉しく思います😊
上っ面でこの映画を評価している人たちには、この岡田さんの説明を聞いてほしいですね。
私は一度見ましたが涙など出ず、怖くなって二度と見ていません。岡田さんの説明を聞いて納得いきました。
いい年して昨夜初めて有名な火垂るの墓を観ました予想に反してお涙頂戴にはなりませんでした悲しみより怒りの方が勝りました。交番の結構年の巡査の言葉と真っ当な感覚がせめてもの救いでした
子供と久しぶりに見ました!子供たちに見てもらう為にアニメ化。焼きつくから戦争について考えると思う
もう何度も見てますが、見る度に色んな感情が見え隠れするアニメですね、日本人特有の感情なのかなとおもいます
いや〜〜岡田さんの話は面白い‼️
面白がりながら、数々の気づきを得られて
ホント申し訳ないくらい感謝しています。
通り一遍にみている自分を発見しました。
地上波は1番大事な部分カットされてら
火垂る墓、泣いたことがない😅😅めっちゃ俯瞰してる
鈴木敏夫の秀逸さが際立つし居なかったらカオスだよね…笑
凄いコンビ。
とにかく深いですね〜。
火垂る…特に意識したことなかったです。
宮崎駿さんの作品はどれも私には難しいです😅
としお先生、ありがとうございます、すみません長文なのでとしお先生だけに読んでいただきたいです、長年のモヤモヤがこの解説で整理できました…この映画は一度っきりしか【見れて】なくて小説もで…
そもそもの小説を読んだときには吐き気がしてきた読後感だったんだけど…野坂昭如が「そんな綺麗な人間じゃない!必ずそう描いてくれ」と言ったというその思い、……だから2回目が見れないのかもしれないなぁと感じた…でも、それが「戦争」の姿なんだろうと思う
地獄そのもののような、戦時下で子供である2人を守ってくれるはずの大人がいなくて、おそらくはなんでもなかった時は意地悪ではなかったはずのおばさんも人が変わり、優しい優しい兄だったはずの子が母を失い、守っていた妹も亡くして、人間性も失っていく…それは悪い人になるということではなくて
最悪の事態になったときに、ただただこの状況を受け流していくしか術がない、これこそが「戦争」なんだと突きつける作品なんだと思うんですね、甘さを削ぎ落とした(この世界の〜はこんなひどい戦時下でも人は思いあい、助け合って心を無くさないできたよ、の映画だと思うんですね…だから私は何度も見たいのですが…)小説、映画、なんだと思うんです、小説はもうウジ虫やら汚さも隠してないので…もう読むのが辛くなってくるんですよ、さすがに映画はそこまでは…できなかったでしょうけども…でもこの映画は2回目見れないんです
9:24 わかった!(^ω^)
私は、この映画を見て、今の日本に食事が満足に出来ない子供達沢山いる事を知り
横須賀にある子ども食堂に寄付を始めました。唯一できる事。
プーチンに見せたい。
でも、なにもわからんだろうな~
筋子好きだったなぁ
昭和24年って、とっくに戦争終わってるじゃん。
「火垂るの墓」は、今の私から見ると、介護者の本音をよく映した作品に思えます。
公開当初は結婚前だったので、普通に泣きながら観てましたが、結婚育児介護が終わった今は岡田先生の解説がスンナリ入ります。
自分の経験では、キャパ越えストレスが続くとアドレナリン過剰放出で脳神経壊れてしまい、感情的な反応は出なくなる。鬱状態に近いが、守るべき家族が側にいると同族を守る本能というか意外と理性的に働けるので、御遺体の処分とかはチャンチャンと出来てしまう。そして辛い記憶は暫くの間(脳神経の疵が治るまでの間)、忘却してしまう。
10歳で戦災孤児になり、生き残った男性から「東京大空襲から保護されるまでの3,4年間の記憶が無い」と聴きました。
「必死」とか「人間の本性」とか、そんなもんです。
それが生存本能なら人間も(北海道の人食いヒグマ♀と同じくらい)哀しい生き物。
清太は、終戦で生きる希望も守るべき者も失って死に至った、普通の少年と思います。
昨日のTV放送では、ラストはカットされてましたね。
覚えてないというか見ていない。
人間性を失ってるのではなく、護る妹がいるから兄として子である自分を捨てて食いしばる親代わりをやれていただけで本人も限界を越えている現実である。悲しい、悲しいという余裕などあるわけない。誰かを虐げて食べているわけでもない。子どもが妹の屍を始末しなければならない現実を前に、放置したら腐る食べ物さえ食べないで欲しい期待とか、全てを失い自分の生命が薄らいでいく瞬間に感情に浸れない事が人間性を失うと思えるなんてあまりにズレている。
掘り下げる視点が凄い!
こういう見方してなかったなぁ…
見逃してしまう様なシーンでもこんなにも深い意味があったなんて。
やっぱりアニメを制作する側の人は違うと同時に、頭がいい人の細かいところまで考える力も凄いと思う。
知り合いの方が清太がもっと上手くおばさんとやっていたら節子は死なずに済んだのかもって…
確かに大きいのだからそれこそ学校に行ったり訓練?に行ったり近所の方の畑のお手伝いとかやれることが有った筈。
上手くやれていたら節子は死なずに済んだのかもしれなと…😢
こどもの頃、ファンレターのお返事に高畑監督からお電話をいただきました時、「(ジブリアニメの)『火垂るの墓』ね節子のモチーフは、宮崎さん。西宮のおばさんのモチーフは、鈴木さん。よく、「働け。」と言われるから。西宮のおばさんの家の居候の男性は、近藤さん。」と伺いましたと思います。その時、「蛍は、アニメーター」と伺いましたような気がしますが、遠い昔のこどもの頃の記憶ですので、本当に、不確かです。
清太を責めるな戦争が悪いという意見は原作者の意図が汲み取れてないということだね
観る人によって嫌いになる人が違うのがシンプルに凄い
宮崎は子供か!?ww🤣
たしかにマルコのイメージは、何かに反抗しているイメージが出てくる。
泣くような物語には感じられなかった。
親戚の家で手伝いをするでなくゴロゴロして寝て過ごすクズにしか見えなかった。人間困ったら自得の為火事場泥棒するんだなと改めて納得。死んだあとこの世か自分に恨みを持って死霊になって彷徨う怖い話でした。
解説を聞くだけ(視るだけ)で辛くなります。
まだこの映画の2回目を通しでみたことがありません。
どうしてこの映画を見て泣けないかを教えてもらえた気がします。私もまた矮小で醜い人間の1人である事をいやでも思い知らされるからなのでしょう。
戦争を繰り返さない忘れないで!
というデモやらが定期的にありますが、例えば超一般人の数名が戦争起こすぞー!と意気込んでも戦争は起こりませんよね?
戦争って、偉い人や権力者がおこしていますよね?
一般人は戦争なんてしたくないに決まってます。
じゃあ一般人の私は、結局どうしたらいいのですか?
何ができますか?
誠に残念ながら私は此の映画に全く感動しません。それは亡父が大陸(今は中国)からの引き揚げ組で、もっともっと悲惨な話を耳タコで聞いていたからです。この戦中の社会観からすると、セイタは「何と生活力の無いダメな奴」としか映りません。私も別の意味でのサイコパスなのでしょうか?
久しぶりに見たら初めてこの映画で涙出た
節子を焼くシーンで
とある人の分析で、秀逸なのでご紹介します。
火垂るの墓
私なりの謎解きをしました
冒頭二人が平成の神戸の夜景をみおろしているのは
高畑監督の中に
死ぬことは美しく
生きてることは醜いことだ、
と以前著書で語っておられた、その精神の表れだと思います。
高畑監督に言わせればこの映画はハッピーエンドなのだそうです。
この映画は昭和20年9月から現代まで、何億回も清太が思い出す当時の記憶で、最後煉獄の中、節子に再会し平成の復興を果たして栄えた神戸の街を見下ろすのです。
原作の野坂昭如さんもこの冒頭こそ私が描きたかったラストだと言われてたそうです。
何故清太は節子が死んだ後、雑炊を食べ、スイカも食べ、節子の火葬も淡々とできたのか?
それは、清太は節子が死んでホッとした、解放されたからです。
生前高畑監督と野坂昭如さんとの対談で、野坂昭如さんがそう語っておられました。
だから、清太は節子が死んだ後無表情で節子を抱き寄せ寝ることができたし、雑炊やスイカを自分が生きる為に、食べることが出来たのです。
でも節子に対する申し訳ない気持ちから節子の遺骨を節子が大事にしてた「サクマドロップ」の缶に入れ持ち歩いてたのです。
空襲で亡くなったお母さんの位牌は洞窟に残したままなに、節子の遺骨だけは最期まではなさなかったのはその為です。
最後に、節子と清太は何故死ななければならなかったのか?
それは清太がコミュニティ障害だったから。
清太がもう少し世渡りが上手だったら二人は死ななくてすんだのではないか?
これも高畑監督と野坂昭如さんの対談で遠巻きに語られていました
以上私の解釈です