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作品概要
製作:英映画社
企画:大阪府・大阪市 京都府・京都市 兵庫県・神戸市
1961年 カラー 33分
軒なみに並ぶ古い家に、50年も100年も修繕されず流れ淀んだ生活の重みに堪えかねて傾いた家々。工業の発展とともに工場周辺に乱立させた棟割長屋や安普請の住宅が今では低収人の人だけ取り残されスラム化している。
又いわゆるドヤ街と呼ばれるスラム地区。しかしこれらの地区に住む人たちも本来仕合せを願い、生活と取り組む善意の人たちである。よりよい生活をつかもうと努力している。それらの努力や、又その土地の発展をさまたげるスラム。そのスラムの内部をカメラは移動する。
(引用:映文連データベースより)
監修
建設省
スタッフ
製作:高橋銀三郎
脚本/監督:荒井英郎
撮影:江馬民雄
録音:田中義造
進行:神原照夫
音楽:一柳慧/高橋悠治
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あしたのジョーの矢吹丈もこんな吹き溜まりの街から出てきましたね。
山谷
14:54 嘘でしょ
十数年前にタイへ行った時を思い出した。近代的な建物が立ち並ぶ区画から少し離れたら舗装もされていない粗末な建物が立ち並ぶ場所、それでもまだマシでバスで高速道路上から見た光景は本当にバラックが無数に並んでいた。
日本車が数多く走っている国だけど、経済格差の大きさを実感。
暗い、汚い、狭い、臭い、こういうネガティブを脱却しようとしたエネルギーが高度経済成長に向けられたという事実はあるだろうな。
人と人の繋がりが待機
日本国は偉大な国だなあ
ありがとうございます
1960年代の日本は韓国から見るとなんともいえないユートピアでした。
だが韓国のテレビに映らなかった日本は当時の韓国とまったく同じだったそうですね…
スラムと言っても、部屋内はこザッパりしていて、現代の独身一人くらしのゴミ屋敷の方が闇が深いと思う。
いかに日本の戦後復旧が異次元的なスピードであったかを理解するための貴重な映像。
すでにスラムの背景を知らない世代へと移り変わっている。
意味不明に昭和レトロと持て囃される今、それぞれに意味があった時代を誰かが伝えていかなくてはならない。
戦争だけでなく、戦争からいかに急速に復興できたかを語る人も高齢を迎えている。
音楽がドラクエ感ある
リアル「バックルーム」迷いこんだら出られる自信ないわ
ナレーションは、黒沢さん??
8:10 あの場面は大阪難波駅近くお走る南海高野線でしょね。よく覚えてます。
親が産まれた頃の時代かぁ。
とても興味深い当日の様子がわかる映像をアップして頂き、ありがとうございます!!
ただ、映像自体の音楽や撮り方に、少し悪意のある感じしました。
正直、スラムと言っても、今でもある海外のスラムより、ずっと掃除され、創意工夫で生活されてる様に思いました。
西日本の方が、ちょっと郊外に行くと今でも古い家並みだらけのとこが多いよね。
まだ60年代はほとんど木造の家屋が
😢😢😢😢
Não é uma favela! É somente um bairro com casas antigas
素晴らしい記録、今、見ることができることに感謝
また音楽が世界に誇る一柳彗氏と高橋悠治氏とは!
まるで開発途上国だな。
ナレーターは仲代達矢かと思ったが確認できない。
先人の方々の涙ぐましい犠牲と努力でこのような歴史の延長上に今の自分が生かされてる事を思い深い感謝と感動を覚えました。ありがとうございます!
撮影場所が、特定されていないが概ね関西地方であることから被差別部落をスラムと称して撮影された作品ではないのかと考えてしまう。1945年大東亜戦争敗戦国家として復興の最中であり当時として問題は無かったのかもしれない。しかし現在スラムなどとタイトルを付ければ大問題になるであろう。
フィリピンから日本に一夜にして変われるんだね
超楽しそう
この頃は、今日的観点からすれば質素な公営住宅が、この世の楽園に見えたらしいね。ガス、上下水道、電気といったライフラインが完備されていたのが大きな原因らしい。今じゃライフラインなんて当然視されているけど、スラム街のようなところではそうではなかった。
トタン屋根の家で生まれ育った身としては、瓦屋根ってだけで高級感感じる…
少年がウンコしてネコが匂いを嗅いでいるとこが印象的だね
ナレーションの声が、サンダース軍曹(田中信夫氏)に聞こえる
はなぶさ
映画社でいいんですかね❓
2:48 そのアップいる?(笑)😅
19:23でじゃりン子のチエちゃんが出てくるかと。
こういう所って不法占拠の犯罪者集団であることが多く、やったもん勝ちの無法状態を面倒臭い事案を避け放置して来た行政の責任なんだけどここはどうなのかな?
つげ義春の世界。
こち亀思い出した
14:53猫が食べちゃうのかとドキドキした
ここに住んでる人たちの方が、現代の「日本死ね」とか文句ばかり言う奴らより一生懸命生きてるよね
廃墟マニアのワタシにはたまらん👍
団地は貧乏臭いと思ってたけど、こういうことか。
ここに松本おらんかな?w
スラムは大切やで
インフラを止めてキャタピーで一掃しようぜ
貴重な映像ですが、行政のお陰でこうなりました。みたいな映像で、そこに人が集まった理由をもっと知りたい。その後も含めて。
この時代にビフォーアフターがあったら…
いい歴史素材ですね。
この情報を知ることは、普通の日常ではほぼないわけですが、映像が残っていることで、色々知ることができます。
当時の人々の言葉で語られる情報も貴重なものですし。
こういった貴重な情報こそ、国自体も残すように努力するべきです。
民間に頼りすぎ。 そして残したくないものを排除。
困ったものです。
無理しないで がんばってほしいです
昭和20年の停戦から数えて16年後、完全な戦争終結から数えると10年ほどの都市スラムの実態ですね。
元々戦前から都市部は貧乏長屋が多く点在していたが、これは必ずしも被差別部落とは一致はしない。
さらに戦前から既に都市部では朝鮮半島からの密航者などが、土地を不法占拠し集落を形成したりし、盗電や盗水、私娼窟の発生など、都市におけるスラム問題は元々存在していた。
戦前の日本は国力に対して人口が増え過ぎていたため、奨励金を出してでも海外移住させる政策をとっていた。
ところが敗戦とともに行き場をなくした日本人は、一気に引揚者として本土帰国を余儀なくされた。
このため、都市部のスラムは益々カオスになっていった。
この映画は、その頃の余韻を残した時代の記録ですね。
僕が育つた協和町 1歳足だけですが出てます 懐かしい