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#オッペンハイマー#公開#日本#感想#解説#アカデミー賞
怒りで泣きそうになったけど、非常に意義のある映画。次元が高い
オッペンハイマーの予告(公式)
バーベンハイマーとは?
チャプターリスト
以下ネタバレ以下
↓
00:00 はじめに
00:16 オッペンハイマーとは?
01:42 まるでオーケストラ
03:20 なぜ日本描写がないのか。
06:37 心理的醜態シーンの最上位
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初めて戦果はラジオで聞き、後々から電話で簡単な事後報告のみ。このオッペンハイマーたちが聞いた戦果報告で広島、長崎の被爆地の悲惨さが映らないところが、悲惨さをより醸し出してると思う。
最近の大河ドラマでちょくちょく使われる、「主人公はそれを体験していないから描写しない」の技法なんでしょうね、科学者の研究室の窓からは、戦場は見えない。
ノーラン監督の「上映が決まったのは正しい判断」という言い方にはいい感じはしないけど、日本でも原爆を開発していたし、お互い様って感じもする。
日本の現状は「はだしのゲン」を読めばいいからね
【修正】
0:18 制作✕ 製作〇
制作(production)は映画を作ること、製作(present)は企画、出資から配給、販売までの全ての過程、そしてこのスタッフとしての製作(producing)はそれらを企画から販売まで担う人のことです。カタカナ英語でプロデュースと言ったほうがわかりやすいかも。
広島、長崎の描写?ロバートが祝賀会的なところでで演説するとき、良心の呵責で黒焦げ死体の幻を踏んだでしょ。アレで充分ですよ。広島、長崎にそれぞれ25年以上住んでいますが、当地の住人達は原爆の悲惨さをアピールするような映像表現には日々辟易としてるんですよ。
時間が経過して今となっては現地で暮らす人たちはもはや、日本中の人が思っているほど『原爆、辛(つら)〜』とは思っていませんし、生存している被爆者は『原爆手帳助かる〜』(あえでなぜかは書きませんが、調べていただけると良くわかります)と思って暮らしているし、周辺に住んでいて”認定“されなかった人たちは『自分にも原爆手帳よこせ』と長年裁判を繰り返し、原爆の記念式典でもっとも大きな声で騒いでいるのは他県や隣国から来た原爆と全く関係のない左翼活動家だし、子供達は進学の際の内申点をエサに日教組により街頭で反戦反核の署名や募金活動をさせられ、一部の被爆二世(ワシも二世だけど)にいたっては『被爆者はもうすぐ死に絶えるから、次はわしらに金くれ』と裁判を始め、メディアは(基本左翼なので)何かあれば『原爆原爆』と騒ぎ立て、一般人はそれらを覚めた目で眺めている。そんな状況ですので、原爆についての直接的な描写など不要。そんなものがあったらこの映画の意味が変わるし、こんな面白い映画にはならなかったでしょう。
オペンハイマーを見ました。劇中のBGMのチョイスがいまいちだと思ったのはオイラだけなのかな。
個人的には理論の限界には、人間があったことのオッペンハイマーの悲観のようなものを感じました
被爆者を描かないことは、どんなに理屈をつけても、第一の理由はアメリカの客の心情に配慮したからに他ならないだろう。
まじで不謹慎だけど原爆のシーン怖いよりも美しいって感じてしまった
歴史としては結果的にアメリカが日本に原爆を落としたけど、当時日本も原爆の開発(2号研究やF計画)をしていたし、下手をすれば日本がアメリカに原爆を落としていた世界線もあったかもしれない。
怒りの矛先をアメリカやオッペンハイマーだけにむけるのは憎しみの連鎖でしかない。
思っていたほど、日本で規制される様な映画じゃないと思いました。
原爆の物語には被曝者や日本を出さないといけないのというのは日本側の人間が思うことであって
作中でも描かれていたように対独、対ソ連だって原爆の物語だしそもそもこれはオッペンハイマーの物語だから日本は直接描けない
日本人が言うのも辛いが広島も長崎もこの映画では重要では無いのだ
重要なのは被害ではなくその先の連鎖反応
広島長崎で何十万という死者が出たからオッペンハイマーは罪悪感や恐怖を抱くのではなく
自分が変えた世界は二度と元に戻らないしやがて焼き尽くされると理解しているから
最後に「I believe we did」と過去形で言うわけで
投下後の地獄を見せるよりも恐ろしいラストシーンだと思う
どこぞの大陸出身者みたいな考え方で🤮
しっかりと被害を描写するよりもああいう嬉し泣きなのか辛くて泣いてるのかどっちとも取れる曖昧な表現の方が見てる人のフックになるから個人的にはアレで良かったと思う。あくまでこの映画は原爆の全てを知るためではなく関心をもつための映画である気がする
ノーラン監督の次回作はハリウッド版『進撃の巨人』がいいなと思いました。
超大型の変身シーンがオッペンハイマーの爆発シーンみたいな感じで描かれたら凄いことになりそう
広島・長崎の被害描写が無いから日本人が怒るというのは主語が大きいです。オッペンハイマーは直接目にしていないわけだから、被害描写を入れるとオッペンハイマー自身の物語から大きく逸脱すると感じます。ノーランもオッペンハイマーを一人称で意図的に描いたと言ってるので、正当な批判ではありません。
なんかヨーダさんってたまにズレてるような気がする。
原爆の映画ではなくオッペンハイマーの映画だって公開前から散々言われてきた
私も「オッペンハイマー」観てきました。よく日本で公開出来たなと思います。音が怖かったです。
バーベンハイマーだけは許してはいけない
絶対に使えないほど強力な武器を作る事で(パワーバランス的に)使わずして戦争を終わらせることができる、というのが彼の考えでした。
それを理解しない人達に勝手に使われてしまった。
怒りを感じたってこの映画に対して?
それともこの時代のアメリカに対して?
何に対しての怒りなの?
Mcuもスターウォーズも微妙だし、正統派映画の解説のほうが面白い!
我々は世界が変わったと知った
ある者は笑った
ある者は泣いたが多くは黙っていた
ヒンドゥー教の聖典を思い出した
ヴィシュヌは王子に義務を果たす様説得し、
複数の腕を持つ者ととなってこう言った
我は死なり、世界の破壊者なり
皆もそう思ったはず
↑はオッペンハイマー の名言として知られているもの。
5:31の評論家の人のコメントはほんとに真理をついてるように聞こえる、
昨今観光客の人で広島の原爆資料館に来て見方が変わる人もいるけどまだまだこういう見方の人はいる。
まさかIMAXスクリーンでピューちゃんのオッピー見れるとは思わなかったから、元は取ったかな
オッペンハイマーの伝記映画に日本目線を出すほうがおかしくないか?
オッペンハイマー目線の映画なので、原爆投下の映像が入ってたら逆に違和感あったと思う。投下されたことを知るのは国民と同じタイミングだったわけだし。
被害写真みてうわぁ、、、てなるシーンだけで充分だったかな。
本当に日本で公開されたのが奇跡だとしか言いようがない
主演スケアクロウ